政談278

【荻生徂徠『政談』】278

(承前) さてまた人々が役儀に心を入れず、上と下との間が昔に比べて隔たりがあることから、下の者が上を親しむ気持ちが薄れ、今の代は仕事熱心な人がまったくない所もあるようだ。東照宮・台徳院様の御代は言うに及ばず、大猷院様の御代までは、御番衆の詰所などへもお出ましあらせられ、しばらく着座され、お話しさえもされたと伺っている。厳有院様は御幼少にて天下を治める身となられ、まだ物心も充分ついていないうちに下々のことをお知らせすれば、却って下の人たちが難儀をすることになるとその時の老中が考えたようで、ただ御行儀を威厳あるものとして教えることに勤めた結果、今は上下の身分の区別が明確になり、旗本の面々にとっては上は遠い存在となった。これにより、上を親しむ心が自然と薄くなってしまった。


[語釈]●東照宮 家康。 ●台徳院 2代秀忠。 ●大猷院 3代家光。 ●厳有院 4代家綱。家綱は数え10歳にして将軍職を継いだ。将軍就任直後、側近が天守から遠眼鏡(とおめがね)で江戸市中を眺めてみるよう勧めたところ、家綱は「将軍としてそのような軽々しいことはできぬ」と言って断ったとされる。家康から家光までは、鷹狩などで外出した折、気軽に農家などに立ち寄って雑談もするほどだったが、家綱になると、身分の高い者は軽々しく下々の中に入ったり興味を持つべきではないという意識が芽生えたらしい。徂徠によると、次第に幕臣たる旗本でさえ将軍は遠い存在となり、これが逆に親近感を持たせず、畏れ敬う心も薄くなったという。時代劇では三つ葉葵の御紋が大変な威力で、それさえ見せると武士も庶民もひれ伏すのが定番だが、実際は御紋自体にそのような威力はなく、特に庶民にとっては将軍は遠すぎて実感のわかない存在。それよりも、藩であれば藩主が大きな存在だし、幕府直轄地であれば代官が畏敬の対象だった。もちろん、天皇は将軍よりも更に遠い、まさに雲の上の存在で、日常的に意識することはほとんどなかった。


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