1945年7月12日

1945年7月12日 昭和20年

【内 閣】

総理 鈴木貫太郎/外務 東郷茂徳/内務 安倍源基/大蔵 広瀬豊作/陸軍 阿南惟幾/海軍 米内光政/司法 松阪広政/文部 太田耕造/農商 石黒忠篤/軍需 豊田貞次郎/運輸 小日山直登/大東亜 東郷茂徳(外相兼任)/厚生 岡田忠彦/国務 桜井兵五郎/国務 左近司政三・国務(情報局総裁)・下村宏・安井藤治/内閣書記官長 迫水久常/法制局長官 村瀬直養

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 石渡荘太郎/枢密院議長 平沼騏一郎/枢密院副議長 清水澄

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 富永恭次/軍務局長 吉積正雄/参謀総長 梅津美治郎/参謀次長 河辺虎四郎/教育総監 土肥原賢二

[海 軍]

海軍次官 多田武雄/軍令部総長 豊田副武

【植民地高官】

朝鮮総督 阿部信行/台湾総督 安藤利吉/関東長官 山田乙三/樺太庁長官 大津敏男/南洋庁長官 細菅戊子郎

【東京都長官】

西尾壽造

【首 長】

大阪府知事 新居善太郎/大阪市長 坂間棟治/京都府知事 三好重夫/京都市長 篠原英太郎/北海道庁長官 熊谷憲一/青森県知事 金井元/岩手県知事 宮田為益/秋田県知事 久安博忠/宮城県知事 生悦住求馬/山形県知事  篠山千之/福島県知事 石井政一/茨城県知事 橋本政実 /栃木県知事 相馬敏夫/群馬県知事 高橋敏雄/千葉県知事  斎藤亮/埼玉県知事 福本柳一 /神奈川県知事 藤原孝夫/山梨県知事 谷川昇/新潟県知事 畠田昌福/富山県知事 岡本茂/石川県知事 平井章/福井県知事 宮田笑内/長野県知事 大坪保雄/静岡県知事  菊池盛登/愛知県知事 古井喜實/岐阜県知事 沖野悟/滋賀県知事 稲田周一/奈良県知事 小田成就/三重県知事 清水重夫/和歌山県知事 小林千秋/兵庫県知事 持永義夫/岡山県知事 小泉梧郎/広島県知事 高野源進/山口県知事 上田誠一/鳥取県知事 高橋庸弥/島根県知事 山田武雄/香川県知事 田中省吾/徳島県知事 岡田包義/愛媛県知事 土肥米之/高知県知事 栗原美能留/福岡県知事 山田俊介 /佐賀県知事 宮崎謙太/長崎県知事 永野若松/大分県知事 中村元治/宮崎県知事 安中忠雄 /熊本県知事 曽我梶松/鹿児島県知事 柘植文雄/沖縄県知事 (不在)


宇都宮大空襲。B29・133機が宇都宮市を空襲。死者628人。

1945年(昭和20年)7月12日夕方(日本時間)にテニアン基地のハゴイ飛行場を飛び立ったB-29の編隊133機(第21爆撃機軍団第58航空団)は、同午後11時頃に鹿島灘から日本本土に侵入、茨城県水戸市上空を西進して栃木県に進入、同午後11時19分(米軍資料による)に宇都宮への空襲が開始された。攻撃目標は現在の宇都宮市立中央小学校であった。この日は降雨による悪天候であったため、宇都宮駅周辺、栃木県庁周辺、宇都宮市役所周辺、東武鉄道東武宇都宮駅といった中心市街地一帯、当時の宇都宮市域の約65%が被災したものの、全滅は免れた。なお、空襲は宇都宮市域だけでなく、近隣町村である雀宮町、城山村、横川村、瑞穂野村、清原村、平石村、姿川村、豊郷村地区(以上は現・宇都宮市)、鹿沼町(現・鹿沼市)、真岡町(現・真岡市)、祖母井町(現・芳賀町)にも及んだ。翌日午前1時39分(米軍資料による)に空襲が終了し、米軍機編隊は東方に飛び去った。使用された爆弾はE46集束焼夷弾10,500発、M47焼夷弾2,204発であり、計802.9tが投下された。この空襲による罹災人口は47,976人、罹災世帯数10,603世帯、死者628名、負傷者約1,150名、焼失戸数9,490戸といわれている。


敦賀大空襲(第一空襲)。日本海側の都市の最初の空襲。死者109人。

7月12日、B29の編隊が市の東部に来襲し、周辺部から中心部へと焼夷弾による波状攻撃を繰り返したが、この時以下の敦賀の状況から戦闘が発生している。当時、敦賀は中京地域や阪神地域から軍の部隊や物資、市民らが疎開先として避難していた。特に現在の敦賀市立咸新小学校に、陸軍の兵站司令部が置かれ、それに付随する様々な部隊・部署が置かれたのが特筆される。また市史編纂委員会が発行した『敦賀の歴史』によれば、空襲を受けるはずがないと軍にも市民の間でも油断があったという。それでも敦賀は日本海側有数の港であり、大陸側との航路が多数設定されていた手前、防空設備も一応整えていた。それでも受けるはずが無いという希望を打ち砕くことになり市史史上未曾有の大災難となったのである。 戦時中の敦賀は、松原などに高射砲陣地が築かれ、寄航する艦船(当時の艦船は高射砲など、武装が施されていた)にも高角砲などが装備されていた、さらに敦賀連隊の本拠、疎開してきた軍の部隊、とりわけ兵站司令部他の存在もあり田舎町としては比較的戦力や防空体制が整っていた。そのため夜9時ごろに出された福井県空襲警戒警報などを駆使し迎え撃つことになり、空襲時敦賀に駐屯する日本軍は気比の松原の高射砲陣地や、停泊中の艦船から高射砲弾を撃ち上げ激しく抵抗。アメリカ側は敦賀市街を東から西へ横切ったが、その進路上の防空陣地等日本側の陣地をも横切ることになり戦闘は熾烈さを極めた。炸裂した高射砲弾の破片が雨あられのように山奥の和久野地区など敦賀中に降り注いだと言う。米機の攻撃は翌13日午前2時頃まで続き、『敦賀空襲・戦災誌』によれば、一連の交戦で高射砲隊の指揮を執っていた日本軍守備隊隊長1名が直撃弾を受け戦死、市民が火に捲かれ109名が死亡、市街地の80パーセント以上を消失・焦土と化するなど戦闘・空襲により甚大な被害が出た。艦艇船舶に被害が出たのかは不明。死者は109名、負傷者は201名(『敦賀の歴史』)である。アメリカ側の記録では160名(第3次空襲含む)、また225名とする資料も存在する(『フォトドキュメント 本土空襲と占領日本』)。敦賀空襲の死傷者は複数の資料で人数のブレがあり一致しない。従って利用する場合は注意がいる。


[第21爆撃機集団任務要約]

任務番号第263号

 日時 1945年7月12-13日

 目標 宇都宮都市地域

 参加部隊 第58爆撃団

 出撃機数 130機

 第一目標爆撃機数 88.46%(第一目標115機、臨機目標5機)

 投下弾種類、設定 AN-M47A2 100ポンド焼夷弾:頭部瞬発信管付

 E46 500ポンド焼夷集束弾:尾部目標上空開散5000フィート

 投下弾トン数 第一目標802.9トン

 臨機目標43.4トン

 第一目標投弾時刻 12日23時19分-13日1時30分

 攻撃高度 13300-14600フィート

 目標上空天候 雲量:10

 損失機数 1

 任務概要 乗員はクルーは密雲を通して1マイル離れている2つの大きい白熱を報告した。2機以外に投弾時目標を目視できなかった。10機が爆撃不能。敵機9機を目撃、攻撃なし。高射砲は重口径と中口径、自動対空砲火とあわせ、散発かつ不正確。4基の有効ではないサーチライトを観測。着水したB29の乗員は9名が救助された。損失B29は基地への帰路。27機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:14700ポンド

 平均燃料残量:664ガロン

任務番号第264号

 日時 1945年7月12-13日

 目標 一宮都市地域

 参加部隊 第73爆撃団

 出撃機数 130機

 第一目標爆撃機数 94.61%(第一目標123機、臨機目標2機)

 投下弾種類、設定 AN-M47A2 100ポンド焼夷弾:頭部瞬発信管付

 投下弾トン数 第一目標772トン

 臨機目標12.6トン

 第一目標投弾時刻 13日0時54分-2時45分

 攻撃高度 6000-12200フィート

 目標上空天候 雲量:10

 損失機数 0

 任務概要 偵察写真は、市の密集地の8%にあたる0.01平方マイルが破壊されていることを示した。市の北と西にある織物工場は被害を受け、うち一つは100%焼け落ちている。9個の小建物が破壊された。5機が爆撃不能。10組のクルーが目標を目視、他は目視できなかった。遭遇した高射砲は重口径と中口径、皆無から散発で不正確。敵機12機を目撃、攻撃はなし。3機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:12769ポンド

 平均燃料残量:873ガロン

任務番号第265号

 日時 1945年7月12-13日

 目標 敦賀都市地域

 参加部隊 第313爆撃団

 出撃機数 98機

 第一目標爆撃機数 93.8%(第一目標92機、臨機目標2機)

 投下弾種類、設定 AN-M47A2 100ポンド焼夷弾:頭部瞬発信管付

 E-46 500ポンド焼夷集束弾:尾部目標上空5000フィートで開散

 投下弾トン数 第一目標679.1トン

 臨機目標16トン

 第一目標投弾時刻 12日23時00分-13日1時07分

 攻撃高度 12200-13400フィート

 目標上空天候 雲量:10

 損失機数 0

 任務概要 乗員は観測せずから優秀の結果を報告。目標からの燃えるような輝きが、攻撃後半に目標を飛行した機の乗員によって見られた。4機は爆撃不能。目標はいずれの機によっても目視できなかった。小口径、散発、不正確な高射砲は第一目標上空で遭遇。敵機2機を目撃、攻撃はなし。2機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:15567ポンド

 平均燃料残量:820ガロン

任務番号第266号

 日時 1945年7月12-13日

 目標 宇和島都市地域

 参加部隊 第314爆撃団

 出撃機数 130機

 第一目標爆撃機数 94.61%(第一目標123機、臨機目標1機)

 投下弾種類、設定 AN-M47A2 100ポンド焼夷弾:頭部瞬発信管付

 E-46 500ポンド焼夷集束弾:尾部目標上空5000フィートで開散

 投下弾トン数 第一目標679.1トン

 臨機目標16トン

 第一目標投弾時刻 12日23時13分-13日1時26分

 攻撃高度 10400-16400フィート

 目標上空天候 雲量:10

 損失機数 0

 任務概要 結果は観測せず。目標は全機におおい隠されていた。6機は爆撃不能。重口径高射砲と自動対空火器は、散発、不正確。敵機6機を目撃、攻撃はなし。6機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:15026ポンド

 平均燃料残量:700ガロン

任務番号第267号

 日時 1945年7月12-13日

 目標 川崎石油センター

 参加部隊 第315爆撃団

 出撃機数 60機

 第一目標爆撃機数 88.38%(第一目標55機、臨機目標1機)

 投下弾種類、設定 AN-M64 500ポンド通常弾:頭部1/10秒遅動信管、尾部1/40秒遅動信管付

 投下弾トン数 第一目標452トン

 臨機目標8トン

 第一目標投弾時刻 13日0時06分-13日1時19分

 攻撃高度 15300-16700フィート

 目標上空天候 雲量:8-10

 損失機数 2

 任務概要 レーダースコープ写真は良の結果を示した。3機だけが、目標を目視できた。6機は爆撃不能。敵機38機を確認、攻撃2回。戦果なし。高射砲は重口径、散発で不正確。サーチライトは雲のため有効でなかった。1機は往路テニアンとグアムの間で脱出、生存者9名。1機の損失原因は不明。

 平均爆弾搭載量:18226ポンド

 平均燃料残量:1175ガロン


【映 画】

東海水滸伝

 製作=大映 9巻 2,101m 77分 白黒

 製作  服部静夫/企画  松山英夫/演出  伊藤大輔 稲垣浩/脚本  八尋不二/撮影  宮川一夫 石本秀雄/音楽  西梧郎/美術  角井平吉 上里茂三/録音  加瀬久 大谷巌

 配 役:清水次郎長  阪東妻三郎/女房お蝶  逢初夢子/森の石松  片岡千恵蔵/おりき  花柳小菊/小松村七五郎  市川右太衛門/女房お民  市川春代/都鳥吉兵衛  遠山満 /都鳥金太郎  寺島貢/ふじや仲居おたか  深水藤子/大政  香川良介/小政  原聖四郎/法印大五郎  光岡龍三郎/増川仙右衛門  島田照夫/三十石船の客  水野浩/江戸ッ子  藤原鶏太/原健作 渡草二 石川秀道 前田静男 春日清 香住佐代子 山本貞子 沢村アキヲ


近衞使節派遣に関しソ連との交渉を佐藤尚武駐ソ大使に訓令。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。