1925年7月10日
1925年7月10日 大正14年
【内 閣】
総理 加藤高明/外務 幣原喜重郎/内務 若槻礼次郎/大蔵 濱口雄幸/陸軍 宇垣一成/海軍 財部彪/司法 小川平吉/文部 岡田良平/農林 岡崎邦輔/商工 野田卯太郎/逓信 安達謙藏/鉄道 仙石貢/内閣書記官長 江木翼/法制局長官 塚本清治
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 平田東助/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 浜尾新/枢密院副議長 一木喜徳郎
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 白川義則/軍務局長 畑英太郎/参謀総長 河合操/参謀次長 武藤信義/教育総監 大庭二郎
[海 軍]
海軍次官 岡田啓介/軍令部総長 山下源太郎
【植民地高官】
朝鮮総督 斎藤実/台湾総督 内田嘉吉/関東長官 児玉秀雄/樺太庁長官 永井金次部/南洋庁長官 横田郷助
【東 京】
府知事 宇佐美勝夫/市長 中村是公
細井和喜蔵『女工哀史』刊行。
『女工哀史』(じょこうあいし)は、1925年(大正14年)、改造社より刊行された細井和喜蔵著のルポルタージュ。紡績工場で働く女性労働者の生活を克明に記録したルポルタージュ。またこれによって世に知られるようになった過酷な労働それ自体についてもこの語が用いられるようになった。自身の機械工としての経験と、妻としをの紡績工場での労働経験を基本とした記述という面からは、この著作は、細井和喜蔵と妻としをの共同作業の産物ともいえる。
1916年の工場法施行後も紡績業などでは深夜業がなくならず、「女工」の多くは過酷な労働条件、自由を拘束される寄宿舎生活のもとに置かれていた。本書はヒューマンな眼(め)で、「女工」募集法、雇傭(こよう)契約制度、労働条件、虐使、寄宿舎生活、「福利増進施設」などの実態と、「女工」の心理や病理を精緻(せいち)に描き(「女工小唄(こうた)」も採譜収録)、あわせて工場の組織と経営実態についても鋭いメスを加えている。文献資料とともに著者自身の職工体験、寄宿舎生活を送った妻、堀(現姓高井)としをの体験などをもとに書かれた。初版刊行後たちまち版を重ね、深夜業廃止および20年代後半の紡織労働運動発展の礎(いしずえ)となり、その印税は労働者解放の資にされた。古典的文献として今日も読み継がれている。
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