1945年7月9日

1945年7月9日 昭和20年

【内 閣】

総理 鈴木貫太郎/外務 東郷茂徳/内務 安倍源基/大蔵 広瀬豊作/陸軍 阿南惟幾/海軍 米内光政/司法 松阪広政/文部 太田耕造/農商 石黒忠篤/軍需 豊田貞次郎/運輸 小日山直登/大東亜 東郷茂徳(外相兼任)/厚生 岡田忠彦/国務 桜井兵五郎/国務 左近司政三・国務(情報局総裁)・下村宏・安井藤治/内閣書記官長 迫水久常/法制局長官 村瀬直養

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 石渡荘太郎/枢密院議長 平沼騏一郎/枢密院副議長 清水澄

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 富永恭次/軍務局長 吉積正雄/参謀総長 梅津美治郎/参謀次長 河辺虎四郎/教育総監 土肥原賢二

[海 軍]

海軍次官 多田武雄/軍令部総長 豊田副武

【植民地高官】

朝鮮総督 阿部信行/台湾総督 安藤利吉/関東長官 山田乙三/樺太庁長官 大津敏男/南洋庁長官 細菅戊子郎

【東京都長官】

西尾壽造

【首 長】

大阪府知事 新居善太郎/大阪市長 坂間棟治/京都府知事 三好重夫/京都市長 篠原英太郎/北海道庁長官 熊谷憲一/青森県知事 金井元/岩手県知事 宮田為益/秋田県知事 久安博忠/宮城県知事 生悦住求馬/山形県知事  篠山千之/福島県知事 石井政一/茨城県知事 橋本政実 /栃木県知事 相馬敏夫/群馬県知事 高橋敏雄/千葉県知事  斎藤亮/埼玉県知事 福本柳一 /神奈川県知事 藤原孝夫/山梨県知事 谷川昇/新潟県知事 畠田昌福/富山県知事 岡本茂/石川県知事 平井章/福井県知事 宮田笑内/長野県知事 大坪保雄/静岡県知事  菊池盛登/愛知県知事 古井喜實/岐阜県知事 沖野悟/滋賀県知事 稲田周一/奈良県知事 小田成就/三重県知事 清水重夫/和歌山県知事 小林千秋/兵庫県知事 持永義夫/岡山県知事 小泉梧郎/広島県知事 高野源進/山口県知事 上田誠一/鳥取県知事 高橋庸弥/島根県知事 山田武雄/香川県知事 田中省吾/徳島県知事 岡田包義/愛媛県知事 土肥米之/高知県知事 栗原美能留/福岡県知事 山田俊介 /佐賀県知事 宮崎謙太/長崎県知事 永野若松/大分県知事 中村元治/宮崎県知事 安中忠雄 /熊本県知事 曽我梶松/鹿児島県知事 柘植文雄/沖縄県知事 (不在)


和歌山大空襲。B29・約100機が和歌山市を空襲。死者1208人。

 7月9日17時頃、テニアン西飛行場を多数のB-29と1機の気象観測機が離陸し出撃した。21時10分、和歌山市全域と紀州沖に警戒警報が出され、ラジオはアメリカ軍機が熊野沖に飛来したことを報じていたものの、なかなか飛来しないため市民はやや油断していたが、22時25分に和歌山県全域に空襲警報が発令された。そして、22時30分には紀州沖海域にも空襲警報が発令された。23時頃、ラジオが「敵爆撃機、約250機、5群に分かれて紀伊水道を北上。淡路島上空で旋回し、1群は南東方面に向かった」と報じた。アメリカ軍は高度10,200~11,600フィート(約3,100~3,500m)より和歌山市上空に進入し、23時36分に河西部の湊河口付近へ照明弾を落として、爆撃を開始した。その後、アメリカ軍は紀ノ川駅周辺を爆撃し、和歌山市駅、ぶらくり丁、和歌山県庁舎付近、和歌山市役所付近などに焼夷弾や油脂弾を落としたため、中心部はほぼ壊滅状態になった。市民は4,000坪の空き地になっていた旧和歌山県庁舎跡(現:汀公園)に避難していたが、そこを火災による熱風が襲ったため、そこだけで748人もの死者を出してしまった。また城北橋や中橋の下にあたる、市堀川の水中に逃げ込んだ者もいたが、満潮時であり多数の死者を出した。翌7月10日1時48分に爆撃は終了し、2時30分頃にはB-29は潮岬上空から南方洋上へ去っていった。3時25分に空襲警報は解除された。戦後、汀公園と城北橋付近には供養塔が、中橋付近には地蔵尊が建立されている。

被 害

 死者 - 1,208人

 重傷者 - 1,560人

 軽傷者 - 3,000人

 行方不明者 - 216人

 被災者 - 113,548人

 焼失家屋 - 31,137戸

(7月16日の内務省警報局宛報告による)

アメリカ軍の記録には「和歌山市の建物密集地4平方マイルのうち52.5%を破壊。焼夷弾800.3トンを使用した」とあり、B-29搭乗員の記録にも「何回も大きな爆発と共に、いくつもの白い閃光が発生し、爆撃目標地点上空では乱気流が発生した。20,000フィートにも達する煙の柱をともなう猛烈な火災が全市で発生した」とあり、空襲の凄まじさが伺える。

被災文化財

 和歌山城

 7月9日の和歌山市の市街地に対する大規模空襲により、和歌山の象徴であった和歌山城が炎上の末に焼失した。城内には旧国宝の白亜の天守をはじめとする多数の国宝や建築物などがあったが、岡口門など数棟を残して全焼した。戦後の1958年に和歌山市民の熱意により天守は鉄筋コンクリート構造で外観復元された。

 松生院(旧国宝)

 報恩寺

著名な被災者

 ジャニー喜多川 - ジャニーズ事務所創業者

 黒沢良 - 声優、ナレーター


[第21爆撃機集団任務要約]

任務番号第256号

 日時 1945年7月9-10日

 目標 下関海峡、新潟、七尾

 参加部隊 第313爆撃団

 出撃機数 31機

 第一目標爆撃機数 93.55%(第一目標29機、代替目標1機)

 投下弾種類、設定 MK26-36 1000ポンド、MK25 2000ポンド機雷:各種設定

 投下弾トン数 第1目標193トン

 代替目標7トン

 第一目標投弾時刻 10日0時02分-2時17分

 攻撃高度 6900-8800フィート

 目標上空天候 雲量:0-9

 損失機数 1

 任務概要 伏木港、新潟港は約4日間の、下関海峡の敷設面は1週間使用不能と判定された。投じられた274発のうち267発が有効とみとめられた。1機が投弾不能。敵機18機を目撃、4回攻撃を受けた。高射砲は下関で重口径、並から強烈かつ正確。他は散発かつ不正確。損失機は敷設面上空で高射砲と戦闘機によって撃墜された。8機が高射砲により損傷した。9機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:12605ポンド

 平均燃料残量:530ガロン

任務番号第257号

 日時 1945年7月9-10日

 目標 仙台市街地

 参加部隊 第58爆撃団

 出撃機数 131機

 第一目標爆撃機数 93.89%(第一目標123機、臨機目標1機)

 投下弾種類、設定 AN-M17A1 500ポンド焼夷収束弾:目標上空5000フィートで散開設定

 AN-M47A2 100ポンド焼夷爆弾:瞬発頭部信管装着

 投下弾トン数 第一目標909.3トン、第2目標6.3トン

 第一目標投弾時刻 10日0時03分-2時05分

 攻撃高度 10000-10700フィート

 目標上空天候 雲量3

 損失機数 1

 任務要約 クルーが報じた結果は良い-優秀。目標は86機のクルーが目視し、27クルーがしなかった。7機が投弾しなかった。損失したB29は滑走路を外れ、炎に包まれた。クルー全員は無事だった。10機の敵機が目撃され、1回攻撃してきた。高射砲は重口径、散発的から並で不正確だった。中口径、対空兵器は、散発的で不正確だった。観測された15基から20基のサーチライトに、ロープやジャミングの効果はなかった。対空砲火は6機のB29を傷つけた。13機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾等裁量:14372ポンド

 平均燃料残量:675ガロン

任務番号第258号

 日時 1945年7月9-10日

 目標 堺都市地域

 参加部隊 第73爆撃団

 出撃機数 124機

第一目標爆撃機数 92.74%(第1目標115機、臨機目標3機)

投下弾種類、設定 AN-M47A2 100ポンド焼夷爆弾:頭部瞬発信管付

 E36、E46 500ポンド焼夷集束弾:目標上空5000フィートで開散

 投下弾トン数 第一目標778.9トン

 臨機目標19.6トン

 第一目標投弾時刻 10日1時33分-3時06分

 攻撃高度 10000-11350フィート

 目標上空天候 雲量:1

 損失機数 0

 任務概要 攻撃写真は北東からの強い地上風とともに、市内に激しい火災があることを示した。乗員等は200マイル近く離れても燃えるような炎を報告した。煙の柱は上空17000フィートに達した。目標は5機だけが目視した。6機が爆撃不能。敵機15機を目撃、攻撃5回。多分空対空黄燐爆弾の破裂1個が目標上空であった。高射砲は重口径と中口径、散発から並、不正確、弾幕射撃、一点連射。目標地域で約20基のサーチライト。5機のB29が高射砲により損傷した。気象情報を中継するために主力部隊に同行し、出撃機数に含まれない1機は目標に6.3トンを投下した。2機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:13972ンド

 平均燃料残量:812ガロン

任務番号第259号

日時 1945年7月9-10日

 目標 和歌山都市地域

 参加部隊 第313爆撃団

 出撃機数 109機

 第一目標爆撃機数 99.9%(108機)

 投下弾種類、設定 AN-M47A2 100ポンド焼夷爆弾:頭部瞬発信管付

 AN-M17A1 500ポンド焼夷集束弾:頭部信管目標上空5000フィートで開散

 投下弾トン数 第一目標800.3トン

 第一目標投弾時刻 9日23時58分-10日1時58分

 攻撃高度 10200-11350フィート

 目標上空天候 雲量:1

 損失機数 0

 任務概要 結果は観測せずから優秀。爆撃後半に攻撃した乗員は、上空20000フィートに達する煙の柱はとともに、市全域に広がる強烈な火災を報じた。巨大な爆発と白色閃光が報告された。激しい乱気流が目標上空であった。目標は97機に目視され、11機は目視できなかった。高射砲は中口径、自動対空砲火は散発かつ不正確。サーチライトは報告されず。  敵機10機を目撃、攻撃はなし。1機は爆撃不能。1機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:14617ンド

 平均燃料残量:951ガロン

 任務番号第260号

日時 1945年7月9-10日

 目標 岐阜市街地

 参加部隊 第314爆撃団

 出撃機数 135機

 第一目標爆撃機数 95.55%(第一目標129機、臨機目標1機)

 投下弾種類、設定 E46 500ポンド焼夷収束弾:5000フィートで散開設定

 AN-M47A2 100ポンド焼夷爆弾:瞬発頭部信管装着

 投下弾トン数 第一目標898.8トン、臨機目標8.7トン

 第一目標投弾時刻 9日23時34分-10日01時20分

 攻撃高度 147200-17700フィート

 目標上空天候 雲量0

 損失機数 1

 任務要約 写真偵察は、市の住宅密集地の74%、1.93平方マイルが破壊されたことを示した。105機が目標を目視、24機が目視できなかった。5機は投弾しなかった。敵機10機が目撃され、3回の攻撃を行った。敵戦闘機とサーチライトの共同関係に注目された。ロタ島とサイパン島の間で着水したクルーは全員救助された。このB29は目標を離れた後、火災を発した。乗員が全員パラシュート脱出した後、機体は空中爆発した。B29 3機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:14676ポンド。

 平均燃料残量:685ガロン。

任務番号第261号

 日時 1945年7月9日

 目標 四日市・宇津部製油所

 参加部隊 第315爆撃団

 出撃機数 64機

 第一目標爆撃機数 95.31%(第一目標61機、臨機目標1機)

 投下弾種類、設定 AN-M64 500ポンド通常爆弾:頭部1/40秒遅動信管付、尾部未動信管付

 投下弾トン数 第一目標468.7トン

 臨機目標8トン

 第一目標投弾時刻 9日22時40分-23時38分

 攻撃高度 10200-11350フィート

 目標上空天候 雲量:0

 損失機数 0

 任務概要 偵察写真は目標の20%が破壊ないし被害を受けたことを示した。目標は10機が目視した。2機は爆撃不能。敵機15機を目撃、交戦回数2。20ミリ砲弾1発を受けた1機のB29は、軽度な損傷を蒙った。高射砲は重口径、皆無から散発、不正確から正確、予測集中射。20基のサーチライトを観測。いくつかはレーダー管制。2機が硫黄島に着陸した。

 平均爆弾搭載量:16811ンド

 平均燃料残量:1233ガロン

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。