政談260
【荻生徂徠『政談』】260
(承前) さて、現在は何事も道理の筋道を立てることが希薄になった。これもまた人々が器量を表に出さないようになったことによる悪弊である。総じて下の人が上へ物を申す時は、十のうち一つか二つしか言わない。昔は下の人が申し上げる場合、道理の筋道が立っていることであれば、少々礼を失するような言い方をしてもすべて言い、上もそれをもっともなこととして取り上げた。昔はそういう風潮があった。今は、御老中・若年寄・番頭に至るまで、下の人が理屈を言うのを嫌い、道理であっても不愉快な顔つきになり、まともな態度をとらなくなるほどである。その人の言うことが理路整然として反論できない時は、悪知恵をめぐらして他のことでその人を圧迫し、以後、物を言わせないようにしている。これだから、下の人は「何事も黙っているのが得策だ。上の機嫌に逆らわぬようにしたほうがよい」と思うようになった。この風潮が広く浸透し、世間は阿諛諂佞(あゆてんねい)ばかりである。
[解説]老中や若年寄もいろいろな人物があり、徂徠は十把一絡げにして酷評しているが、実際はそれほどでもない。しかし、全否定しなければ悪い風潮ほど広がりやすく、弊害が大きいことから、将軍吉宗にもっと危機感を持ってもらうために脅しにも似た言い方で迫った。下の人は上の人の身分・地位に恐れをなす。その上に、勇気を出して物を言っても、露骨に不機嫌な表情をされたり、別のことで嫌がらせでもされた日には、委縮したり、嫌気がさして世のため人のためになる政治上の良策も言上しなくなる。徂徠が恐れたのはこのこと。職掌における上下はその時その場でのもの。絶対的なものではないし、それによって人物の優劣を表わすものでもない。翻って現在を見るに、例の「最高責任者」や副総理は、気に入らない人からの質問にはまともに答えず、前者はせせら笑いを浮かべながら早口で意味不明な言辞を弄して時間ばかり浪費し、後者は特に記者に対して目を丸く見開き、よくもまあこれだけ曲るものだと感心させられるぐらい口をひん曲げて、ひょっとこと揶揄されるような顔つきで嫌味を言う。これでは、こんな人にはどんな意見、提案をしても無駄だとだめだと思ってしまう。
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