政談252
【荻生徂徠『政談』】252
(承前) 「君子は和して同ぜず、小人(しょうじん)は同して和せず」と孔子も言われた。和するとは、五味を調和するようなものである。五味の塩梅とは、それぞれの味を保ったまま混ぜ合わせること。このように、臣下は主君とは才智においてそれぞれ違いがあるほうが良い。主君がどれほど才智があろうとも、人の才智は得手もあれば不得手もある。聖人でさえそう。ゆえに、さまざま違いのある才智の臣をできるだけ集めないと、主君の才智の足りない部分を補うことができない。同するというのは、たとえば服紗味噌(ふくさみそ)のようにもともと甘いのに砂糖を入れ、その上に蜜を入れ、また飴をも入れるのと同じで、主君の気持ち迎合し、少しも異論を言わぬことを言う。
[語釈]●「君子は和して同ぜず、小人は同して和せず」 『論語』子路(しろ)篇にある。一般に「君子」は立派な人、「小人」はつまらぬ者と解するが、孔子の発言の多くは為政者を念頭に置いており、徂徠も「君」(=原文)つまり主君、為政者の矜持としてこの言葉を引いている。和はそれぞれ考えや立場はあるものの、事に当たるに対して協調、協働すること。同は腹の中ではいろいろな思いがあり、決して主君を信頼も心服もしていないが、うわべだけ同調することで歓心を買い、おのれの栄達を謀ること。「和して同ぜず」と「同して和せず」、ただ語順が違うだけのように見えるが、意味はまったく異なる。 ●五味 甘・酸(すっぱい)・鹹(カン。しおからい)・苦・辛の味の5つの要素。 ●服紗味噌 すらない味噌のこと。庶民暮らしの経験が長い徂徠はこのような知識も豊か。絶妙な例え方をする。
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