1945年6月23日

1945年6月23日 昭和20年

【内 閣】

総理 鈴木貫太郎/外務 東郷茂徳/内務 安倍源基/大蔵 広瀬豊作/陸軍 阿南惟幾/海軍 米内光政/司法 松阪広政/文部 太田耕造/農商 石黒忠篤/軍需 豊田貞次郎/運輸 小日山直登/大東亜 東郷茂徳(外相兼任)/厚生 岡田忠彦/国務 桜井兵五郎/国務 左近司政三・国務(情報局総裁)・下村宏・安井藤治/内閣書記官長 迫水久常/法制局長官 村瀬直養

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 石渡荘太郎/枢密院議長 平沼騏一郎/枢密院副議長 清水澄

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 富永恭次/軍務局長 吉積正雄/参謀総長 梅津美治郎/参謀次長 河辺虎四郎/教育総監 土肥原賢二

[海 軍]

海軍次官 多田武雄/軍令部総長 豊田副武

【植民地高官】

朝鮮総督 阿部信行/台湾総督 安藤利吉/関東長官 山田乙三/樺太庁長官 大津敏男/南洋庁長官 細菅戊子郎

【東京都長官】

西尾壽造

【首 長】

大阪府知事 安井英二/大阪市長 坂間棟治/京都府知事 三好重夫/京都市長 篠原英太郎/北海道庁長官 熊谷憲一/青森県知事 金井元/岩手県知事 宮田為益/秋田県知事 久安博忠/宮城県知事 生悦住求馬/山形県知事  篠山千之/福島県知事 石井政一/茨城県知事 橋本政実 /栃木県知事 相馬敏夫/群馬県知事 高橋敏雄/千葉県知事  斎藤亮/埼玉県知事 福本柳一 /神奈川県知事 藤原孝夫/山梨県知事 谷川昇/新潟県知事 畠田昌福/富山県知事 岡本茂/石川県知事 平井章/福井県知事 宮田笑内/長野県知事 大坪保雄/静岡県知事  菊池盛登/愛知県知事 古井喜實/岐阜県知事 沖野悟/滋賀県知事 稲田周一/奈良県知事 小田成就/三重県知事 清水重夫/和歌山県知事 小林千秋/兵庫県知事 持永義夫/岡山県知事 小泉梧郎/広島県知事 高野源進/山口県知事 上田誠一/鳥取県知事 高橋庸弥/島根県知事 山田武雄/香川県知事 田中省吾/徳島県知事 岡田包義/愛媛県知事 土肥米之/高知県知事 栗原美能留/福岡県知事 山田俊介 /佐賀県知事 宮崎謙太/長崎県知事 永野若松/大分県知事 中村元治/宮崎県知事 安中忠雄 /熊本県知事 曽我梶松/鹿児島県知事 柘植文雄/沖縄県知事 島田叡


第32軍の牛島満司令官、長勇参謀長らが摩文仁村で自決。沖縄守備軍の組織的抵抗が終る。

6月22日、牛島らが立て籠もっている摩文仁洞窟の司令部壕に対する連合軍の攻撃が激化したため、牛島と長は自刃をすることとした。まずは司令部壕から外に出て山頂で割腹をしようとしたが、すでに山頂はアメリカ軍の勢力圏下であり、司令部の残存部隊が山頂奪還を試みるもかなわず、23日未明に、山頂での自刃を断念し司令部壕内で切腹することとした。午前3時、牛島は八原ら参謀にスコッチ・ウイスキーのキングオブキングスとパイナップルの缶詰をすすめ、長が「切腹の順番はどうしましょう。私がお先に失礼して、あの世のご案内をいたしましょうか」と切り出すと、牛島は「吾輩が先だよ」と答え、長が「閣下は極楽行き。私は地獄行き。先に失礼しても、ご案内はできませんね。」という受け答えをした後、午前4時30分、牛島は、戦闘に汚れた服から礼装に着替え、東方を拝して白い布の上に正座し、銘刀「来国俊」を腹に突き立てた。そして、以前より介錯を頼んでいた次級副官、坂口勝大尉が軍刀で介錯した。介錯した両名の首は、軍司令部専属副官吉野敏中尉と当番兵の高橋兵長が抱いたまま手榴弾で自爆した。遺体は鍾乳洞の自然の穴に埋めたが、今日まで正確な場所は分かっていない。奇しくもこの6月23日は牛島の長女麗子が東京で結婚した日であった。一方、研究者として沖縄戦の歴史的研究に取り組み沖縄県知事も歴任した大田昌秀は、米国立公文書館から牛島と長勇の最期の様子を記録した文書と二人の遺骸の写真を発見したと主張し、二人の遺骸とされる写真を見る限り、切腹や介錯した後は確認できなかったとしている。この文書には、牛島と長は青酸カリを含んだ注射器によって服毒自殺したと記されているという。しかし、アメリカ合衆国陸軍省の公式報告書『United States Army in World War II The War in the Pacific Okinawa: The Last Battle』では牛島と長の死因は「Hara-kiri(切腹)」とされている。沖縄憲兵隊の副官だった人物の証言によると、牛島の遺体を確認したいという米軍の要請により摩文仁の軍司令部壕跡に向かうと、司令部壕の下方30〜40メートルのところにあるくぼ地に、同じ場所に並べるように石を積んで埋葬されていた牛島と長参謀長の遺体を確認したという。遺体には首が無く、略章をつけた軍服に白い手袋をしていたとされる。享年59歳(満57歳)。


義勇兵役法公布。

義勇兵役法(昭和20年6月22日法律第39号)は、兵役法の徴兵対象を拡大して新たな兵役義務を課す日本の旧法律。1945年(昭和20年)6月22日に公布され、即日に施行された。軍事特別措置法廃止等ニ関スル件(昭和20年勅令第604号)により、本法は昭和20年10月24日をもって廃止された。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。