1945年6月9日
1945年6月9日 昭和20年
熱田空襲
【内 閣】
総理 鈴木貫太郎/外務 東郷茂徳/内務 安倍源基/大蔵 広瀬豊作/陸軍 阿南惟幾/海軍 米内光政/司法 松阪広政/文部 太田耕造/農商 石黒忠篤/軍需 豊田貞次郎/運輸 小日山直登/大東亜 東郷茂徳(外相兼任)/厚生 岡田忠彦/国務 桜井兵五郎/国務 左近司政三・国務(情報局総裁)・下村宏・安井藤治/内閣書記官長 迫水久常/法制局長官 村瀬直養
【宮中主要官】
内大臣 木戸幸一/宮内大臣 石渡荘太郎/枢密院議長 平沼騏一郎/枢密院副議長 清水澄
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 富永恭次/軍務局長 吉積正雄/参謀総長 梅津美治郎/参謀次長 河辺虎四郎/教育総監 土肥原賢二
[海 軍]
海軍次官 多田武雄/軍令部総長 豊田副武
【植民地高官】
朝鮮総督 阿部信行/台湾総督 安藤利吉/関東長官 山田乙三/樺太庁長官 大津敏男/南洋庁長官 細菅戊子郎
【東京都長官】
西尾壽造
【首 長】
大阪府知事 安井英二/大阪市長 坂間棟治/京都府知事 新居善太郎/京都市長 篠原英太郎/北海道庁長官 熊谷憲一/青森県知事 金井元/岩手県知事 宮田為益/秋田県知事 久安博忠/宮城県知事 丸山鶴吉/山形県知事 篠山千之/福島県知事 石井政一/茨城県知事 橋本政実 /栃木県知事 相馬敏夫/群馬県知事 高橋敏雄/千葉県知事 斎藤亮/埼玉県知事 福本柳一 /神奈川県知事 藤原孝夫/山梨県知事 谷川昇/新潟県知事 畠田昌福/富山県知事 岡本茂/石川県知事 平井章/福井県知事 宮田笑内/長野県知事 大坪保雄/静岡県知事 菊池盛登/愛知県知事 小畑忠良/岐阜県知事 沖野悟/滋賀県知事 稲田周一/奈良県知事 小田成就/三重県知事 清水重夫/和歌山県知事 小林千秋/兵庫県知事 持永義夫/岡山県知事 小泉梧郎/広島県知事 大塚惟精/山口県知事 上田誠一/鳥取県知事 高橋庸弥/島根県知事 山田武雄/香川県知事 田中省吾/徳島県知事 野田清武/愛媛県知事 土肥米之/高知県知事 栗原美能留/福岡県知事 戸塚九一郎 /佐賀県知事 宮崎謙太/長崎県知事 永野若松/大分県知事 中村元治/宮崎県知事 安中忠雄 /熊本県知事 曽我梶松/鹿児島県知事 柘植文雄/沖縄県知事 島田叡
熱田空襲。B29爆撃機40機が名古屋市南部・熱田の軍需工場を急襲。従業員や動員学徒1045人が死亡。
熱田空襲(あつたくうしゅう)は、名古屋大空襲のひとつ。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)6月9日、名古屋市の現在の熱田区の愛知時計電機船方工場・愛知航空機(現愛知機械工業)工場周辺にアメリカ軍が行った空襲。攻撃は旧日本軍の隙をついた形で行われ、多数の犠牲者がでた。当時、アメリカ軍の爆撃機がマリアナから大阪・名古屋に来るときは、都市を避けて琵琶湖を目ざし、琵琶湖上空で大阪方面なら西南、名古屋方面なら東南へ進んだ。熱田空襲の6月9日、アメリカ軍爆撃機130機が琵琶湖方面へ向かうのを発見した旧日本軍東海軍管区は空襲警報を発令、その後爆撃機が西南(大阪方面)へ向かうのを見送り空襲警報は解除された。ところが、130機のうちの40機は突如進路を東南(名古屋方面)に変更、その日は気象条件も良く名古屋まで一気に急襲した。空襲警報解除から約1時間後の午前9時30分頃、流星等を作っていた軍用機メーカー愛知航空機の工場ならびに住友金属工業名古屋工場などの船方町(現一番町周辺。交差点名は残っている)、白鳥橋周辺を爆撃した。思いもしない突然の空襲に旧日本軍も対応が遅れ、空襲警報解除に安堵していた人々も逃げ遅れた。結果、愛知時計電機・愛知航空機工場で働いていた従業員や動員学徒約2万2000名のうち1045名が死亡、重軽傷者約3000名、周辺住民も数十人死亡した。従業員や周辺住民あわせて約2000人が死亡、重軽傷者約2000名との説もある。国宝に指定されていた熱田神宮など文化財も被害を受けた。動員学徒が多数死亡したこともあり、慰霊のため愛知時計電機(愛知航空機はこの会社から独立)本社工場の正門前に慰霊地蔵尊があり、すぐ近くの堀川沿いの小道には当時の堀川護岸壁の一部が爆撃の跡を残したまま慰霊碑とともに残されている。空襲のあった6月9日には、毎年愛知時計電機の手によって慰霊祭が営まれている。
第87回帝国議会(臨時)開会。
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