政談195
【荻生徂徠『政談』】195
●頭・助・丞・目の事
頭(かみ)・助(すけ)・丞(じょう)・目(さかん)の事、中国では古の堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)の三代の御代より、また日本でも昔はこれを立てたのは、公務の遂行および人事においてとても便利だったからである。しかるに現在はこの区別がなく、同じ役職二人でも三人、四人でもみな同格となるゆえ、互いに相談して料簡の足りない所を助け合うにはよく、また病気や事情により休職する時は埋め合わせができるが、同役が同格であるために互いに忖度して率先して働くことをせず、同役に合わせたり互いに馴れ合いになる。このため月番という制度を採用し、一人が一つの役を一カ月担当するが、月が替わると交代するために自分の割り当て分だけ仕事をし、責任をかぶるようなことはせず、最後まで仕上げてから交代する者がない有様。いくら同役が複数いても、一人ずつひと月請負うためにあらゆる仕事を一人で抱え込み、とても忙しく、勤めがおろそかになってしまうのも道理である。
[語釈]●月番 閣僚たる老中から知事兼司法・警察・消防の長である町奉行など、主な役人は一カ月ごとに交代し、その月の当番が政務を担当した。これを月番という。老中は首座があるが、これとは別に月番老中がいて、政務は月番が行った。江戸町奉行は2人で、それぞれ南町と北町に配属され、南町が月番の時は北町は訴訟の受付けや吟味(裁き)などは行わず、事務処理や探索などを行った。非番だからといって休みではない。北町が月番の時は南町が非番。京・大坂も同様で、東町と西町それぞれで交代した。この制度は効率的であるものの、徂徠が言うように時期が来れば交代して引き継ぐためにわざと難しい案件は自分で抱え込まず先送りするといった弊害が起きることがあった。今は「長」のつく役職は一人で、「長」が複数いて交代制ということはないが、そのかわり「長」を補佐する者を多く置き、このために「長」はお飾りとなって責任意識が希薄となるほか、複数の補佐役の誰が担当なのか、職掌の分限はどうなのかが明白でなく、責任の所在があいまいとなり、事が起きてもどこを追及してよいのかがわからず、組織でもいわゆるトカゲの尻尾切りで済ませ、「長」が全面的に責任を取ることが政治や官僚の世界ではほとんど見られなくなった。辞任も責任を取ることと解釈する向きがあるが、規則には「辞任」といった定めはないわけで、この辺のあいまいさ、組織内での馴れ合いもまた全体を弛緩させる結果となっている。
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