政談184
【荻生徂徠『政談』】184
(承前) このようにすれば、三年耕作すれば一年分の貯えができることから、仲間を助けることもできるようになるし、大飢饉の際には窮民を救うこともできる。一揆や兵乱の時には兵糧の補いにもなる。今の愚かな軍学者などは、資金をためることが戦(いくさ)に必要だなどと言っている。乱が起きれば米が払底するのだから、いくら金があっても土石を積むに等しく、何の役にも立たぬ。更に、今は武家の給米を二合半と定めており、これは松平伊豆守殿が決めたものだが、これは泰平の世で江戸を徘徊する程度しか動かない者にとって足りる量である。軍法書には、籠城の際は一人前一昼夜の食事三升とある。これは、危急存亡の時には精を出して働くゆえに、米を大量に消費することを意味する。今、国持ち大名の中には一人扶持(いちにんぶち)を一升と定めている家もあるが、それほどの米でさえ、支給された者はすぐに換金して米を商人の手に渡してしまう。肝心な時に米がほしくなっても、米は手元になく、取り戻すことができずひもじい思いをすることになる。
武家が知行所に住む時は、住居は土地の木を切って造り、米は年貢米を使うようにする。味噌豆も土地で採れたもの。衣服は織って着る。衣食住に金がかかることはしない。下級の者たちの俸禄も米で支給する。また、大小や衣服を許したなら、裕福な百姓はみな家来となる。城下から呼び戻す時は、奉公人は他に住む所もないために、皆地頭の家来となり、譜代となる。以上のようにすれば、米を売って金にするのは無用である。
右に述べた四分の一の米を蓄えておくというのはぎりぎりの基準である。その他の米もみだりに売らず、武家で貯蔵しておいたなら、商人も米を食べないわけにはいかないから、商人もとても難儀し、物価は心のままに下がるだろう。これは主客の勢いというものである。今は武家は旅宿の状態ゆえ金が無くてはならず、米を売って金に換え、商人より物を買って暮らすから、商人が主人で、武家は客の状態。これだから、物価は武家の望み通りにはならない。武家がみな知行所に居れば米を売らずに済み、商人が米を欲しがるようになるから、武家が主人で商人は客となる。さすれば物価も武家の望むようになる。これが古の聖人の広大深遠な知恵から出た、万古不易の掟というものである。
このようにして米を高値にすれば、城下の町人たちは雑穀を食べるようになるだろう。これにより身分に応じて食物も区別され、古の聖人の定めた道にも叶うようになる。総じて商人は利益によって渡世をする者であるから、現代を見ても、一夜で長者にもなれば、一日でつぶれることもある。これは道に背いた渡世をする結果である。武家と百姓は田地しか渡世の術(すべ)がなく、定住する者だから、武家と百姓には定住に便宜を図るのが政治の根本と心得ておくこと。商人がつぶれるのは自分がそのようにしてしまったのだから構う必要はない。これもまた政治の上で心得ておくべきことである。
政談巻之二 終
[解説]巻二のしめくくり。武家と農民は土地によって生計を立てているのだから、特に武家はだちに本来の知行所(領地)に戻って定住し、そこで自活をして無駄な金遣いをしないようにすることが困窮から逃れる方法であると説く。商人に対しては厳しく、労せずして金持ちにもなれば、投機に失敗して破産するのも自分がそのようにしているのであり、政治はそのようなことに面倒を見る必要はない。政治はまじめに生きていながらなおかつ困窮している人を救い、暮らしが立つように支えるもので、昔の立派な為政者を見習うべきであるとする。商人といえどもみんなが皆、利益ばかりを求めて人をだます悪徳な者ではないし、政治は分け隔てなく手を差し伸べるものだが、綺麗事を言う前に、明らかな悪に対しては毅然とした態度が必要ということです。
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