佛像圖彙559
【559】天王寺庚申像(てんのうじこうしんのぞう)
[通釈]
天王寺庚申像
文武天皇の大宝庚申の年の正月七日庚申の時に、攝州四天王寺の民部僧都という者の元へ天の使いの童子が庚申の像を持ち来り、「我は帝釈天の使いである。
毎年六度の庚申の日に、心身を清浄にして庚申の時に南に向かいて拝むべし。三世の徳を得て一切の災難を避け、吉祥を得るであろう」といい、そのまま昇天した。
[解説]
この図は青面金剛である。天王寺の庚申は八坂の庚申と並んで二大庚申と呼ばれる。庚申信仰は道教の三尸(さんし)の説に仏や神が混淆した信仰形態。仏教では青面金剛を祀り、神道では猿田彦を 祀るが一筋縄では行かない。
旧幕時代の江戸近郊の農村では盛んに信仰され、娯楽を兼ねての村寄り合いの場ともなった。俗信では庚申の夜に生まれた子供は盗賊に成るとされ、呪いとして金偏の文字を名前に入れると良いとされた。夏目漱石の本名金之助はこの一例。
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