佛像圖彙558
【558】嵯峨釈迦如来(さがしゃかにょらい)
[通釈]
釋奝然(しゃく ちょうねん)は東大寺にて三論を学んだ。永観元年の秋入宋して聖地を巡礼した。聖禅院を啓き、優填王の御造りになった赤栴檀高さ五尺の釈迦像を摸刻させた。帰朝の折、霊夢を蒙り、本の像とすり替えたが、誰も知る者が無かった。雍煕三年、台州の鄭仁徳の船に乗り、長和五年に帰朝。六十七歳にして卒す。
[解説]
京都市右京区の清凉寺に安置される仏。国宝。釈迦在世の37歳の時の姿を刻んだといわれる。もとは北宋が滅亡した後、北に運ばれて北京に安置されていたが、北清事変の折英仏軍のために焼き払われたともいわれる。
奝然が霊夢によって像をすり換えたという伝説は古くからあり、故に三国伝来と称する。 胎内に錦で作られた五臓六腑が納められている事でも有名。後に摸刻像が盛んに造立され「清凉寺式釈迦如来」といわれる。江戸では目黒大圓寺に有るのが有名。
以下、清凉寺のホームページよりこの像についての解説を紹介します。
「清凉寺について
本尊 赤栴檀の釈迦如来(国宝)
清凉寺は「源氏物語」の光源氏が造営した「嵯峨の御堂」に目される寺院です。それは清凉寺の本尊釈迦如来像が古来より多くの人々に信仰を集めてきたことに由来しています。
そのことはまた、「如来二伝のおんかたみのむつまじさに、嵯峨の清凉寺にもうでて……」の序文に始まる増鏡や、宝物集・謡曲百万にかたられていることからもうかがえます。本尊釈迦如来は、古来釈尊37歳の生身のお姿を伝えた霊像として厚く信仰をあつめています。この尊像を北宋より請来した(約千年前)開祖東大寺の奝然法橋が、尊像内に謹封した五臓六腑・願文・経巻等々(すべて国宝)の発見により、まさに生身仏であることが実証されました。おん丈は等身大の檀像で顔貌・衣文の様式等、マツラ式に似たインド古式の様相を伝えています。」
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