佛像圖彙552
【552】求聞持虚空蔵(ぐもんじこくうぞう)
[通釈]
求聞持虚空蔵
[解説]
虚空蔵菩薩求聞持法(こくうぞうぼさつぐもんじほう)の本尊。求聞持法は虚空蔵菩薩の真言を一日一万回、百日に及び唱え続けるという密教での行。これを行うと記憶力が増し、一旦目を通した経典は立ちどころに暗誦出来るとされる。空海が室戸で修し、明星が飛び込んで来たという有名な逸話がある。
求聞持法を行う人は、山中など静かな場所で虚空蔵菩薩の絵を掲げ供養し、集中して息の続く限り虚空蔵菩薩の陀羅尼(だらに。サンスクリット原文の言葉、呪文のように認識される)を唱える。疲れたらやめてよいが、毎日続けて行い、合計100万回を唱える。唱え終わったら、今度は日食・月食の日に再び陀羅尼を唱えながら蘇(そ。古代のチーズ)を作り、これを食べれば一度読んだ経典の内容を忘れない知恵を得るという。
真言はもちろん原文において意味があるが、意味は考えずひたすら唱えることがよいとされ、漢訳されず、従って和訳もされない。現在は書物のほか、インターネットで訳を紹介するものもいろいろ見かけるし、中には僧侶の方もおられるが、本来はいけないことであり、和訳を批判する僧侶もおられる。我々凡夫としては、意味を理解したほうが唱えるにも気持ちが込められてよいと思うが、「三蔵」を授けられた漢訳の達人である高僧たちも真言については音写だけで漢訳していないことから、その姿勢を見習うべきかもしれない。なお、真言はすべて意味が分かっているわけではなく、中には意味が不明のものもあるという。
今は仏教の経典も増えに増えて、主要なものだけでも暗記するのは大変。しかし、僧侶は暗記をし、法要の種類に合わせたお経が暗誦できなければならない。本来、お経は暗誦ではなく、常にお経本を捧げ持って読誦するものとされるが、手で印を結んだりいろいろな法具(仏具)を使ったりする上で、お経本を持ち続けることはできない。また、それを台の上に置いて、見ながら護摩供などをするといったこともできない。いきおい、暗誦が必要となる。しかし、僧侶すべてが暗記力に長けているわけではない。人によっては苦手な人もいる。いつも読む般若心経などのように短いものは覚えられるとしても、法華経のように長くて、その時に応じて必要な所を抜き読みするものは、覚えるのも苦労する。そのため、暗記力を高めたいと願う人も古来より多く、いろいろな方法が試されてきた。超人といわれる空海でさえ、この虚空蔵求聞持法は大変効果があったと本音を吐露している由。
0コメント