政談175

【荻生徂徠『政談』】175

(承前) さて、借貸の法というのは、中国では契券(けいけん)の法というのがあり、手形用紙を役人から出させて、その表記された価格を入目(いりめ)として公儀が証明し、この手形でなければ借貸の訴訟は受理しない。この手形を使用した事案だけを訴訟として受理する法のことである。我が国にもこの法はあるが、繁多にして不便である。役人が発行する紙ということにこだわらず、町でも田舎でも、名主と五人組の印があれば公儀で受理するようにすべき。武家はその町の肝煎(きもいり)の印があれば受理する。印がないものは受理しない。手形を発行する場合、借金の理由が明確でなければならない。身分不相応の借金や、借貸の法に違反している借金はよく吟味して、借金をさせないのがよい。

 借貸の法というのは、どれほどの利息がつくか、利息がどれほどたまったなら申し出るかを決め、違法な高利は処罰するよう定めるべき。利息がたまって上限を超えたものは取り上げない。利息を順当につけたものの、利息の総額が元金の額と同じになったなら、その時点で利息はつけず、少しずつ返済させる。このように法を確立すれば、以後の裁きは滞りなくできる。代金後払いの買い掛けは話し合いとする。そもそも借金をする時は当事者同士だけで、返済が滞ると奉行所へ訴え出るから、借貸にいろいろな問題が生じるのである。


[解説]最後の部分は時代を超えて迫るものがあり、いろいろ考えさせられる。金を借りる人は苦しいから借りるが、その状況がすぐに好転する場合はあまり借りず、もうどうしようもなくなると借りる。だから、期限が来てもなかなか返せない。一方、貸す方は、中には低利あるいは無利子無担保で義侠心から貸す人もいないことはないものの、貸金業は利息で成り立っているから、できるだけ利息を取りたい。法律で上限が決められていても、更に取りたい闇金が後を絶たない。しかも、闇金ほど貸す時は無審査で間口が広いから、職や資産のない人ほどこれにすがることになる。貸し借りは余人を交えず、こっそりやる。で、返済不能となると、貸した側は待ってましたとばかりに高圧的になり、取れるものはなんでも取ろうとしたり、更に他の業者から借りさせたりする。徂徠が言うのは、借金そのものは誰にでもあることであり、目的と身元がはっきりしていればきちんと役所を通じて貸借させ、公印のない証書の場合は問題が生じても受け付けない。もちろん、違法な高利貸は処罰する。利息が元金と同額にたまった場合はその時点でストップさせ、とにかく少しずつ返済させる。脅迫的な取り立てはさせない。あくまで奉行所の監督のもとで行う、ということ。時代劇(維新政府史観)による刷り込みで江戸時代は暗黒の社会となっているが、借金問題を野放しにすれば結局は公儀(政治)の威信にかかわり、治安の悪化、人心の頽廃を引き起こしてよいことは何一つないから、貸借は行政の指導と責任のもとで行うという意識は時代の進展と社会の複雑化に合わせて強く持たれるようになった。世の中とはこのようにして進歩してゆくものです。しかし、泰平が続き、人心が弛緩するとどうなるか。それをよく示しているのが今の政権です。


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