佛像圖彙520

【520】雷電(らいでん) 


[通釈] 

雷電 梵字はダ?(例により崩れている) 


[解説] 

 風天と対を成し、雷神として知られる。中国では雷公といい、妻の電母と対になっている。雷公は觜が尖り、鏨(のみ)と槌(つち)を持ち、これを打つと雷鳴を発する。電母は両手に鏡を持ち雷光(いなびかり)を発する。おもに不義不孝の者に落雷して誅罰を加えるとされる。 

 我が国においては黄泉の国を訪ねた伊弉諾(いざなぎ)が伊弉冉(いざなみ)の屍に八つの雷神が生じているのを見て逃げ出したとあり、太古から畏れられていたと見える。後には鹿島の神建御雷神も雷神と考えられた様である(諏訪の建御名方が風の神と見なされたのと一対)。更に下っては菅公(菅原道真)が火雷天神ともいわれた。 雷雨の多い北関東では加波山神社を始め雷神を祀る神社が多い。下野地方では殊更に雷の事を「雷様(らいさま)」と呼んで畏れている。 

 中国では激しい雷雨の後も地上に洗い出された古代の磨製石斧を「雷斧(らいふ)」と呼んでいる。雷は容赦無く物を裂き摧くため、詩文等の添削を請う時に「雷斧を請う」ともいう。 


余説 

 浅草観音の表門を雷門というが、正式には「風雷神門」。風神は疎かに扱われている。江戸の小噺に、ある時地震が何かで風雷神像が倒れた。風神は直ぐに起こせた(風だけに軽い)が、雷神は大勢の人足を動員しても起こせなかった。それを見た常盤堂の御婆さんが「どれ」といってたちまち起こした。何のことはない、常盤堂は有名な「雷おこし」本舗。宣伝の話なのでした。 画像は雷門の風神(入口から向かって右)と雷神(同左)。なお、2つの像とも火災のため、頭部は江戸時代、胴体は明治時代の制作。     


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