政談97

【荻生徂徠『政談』】97

(承前) 日本にも藤原不比等が唐朝の制度に基づいて律令格式(きゃくしき)を作り、これによって国を治められ、三百年を経て天下は武家の手に渡った。その後、鎌倉は百年で滅び、室町家の代は百年で天下が大いに乱れた。いずれも勉強不足で三代の先王の制度に則ることを知らなかったため、年数がとても短くなった。異国の漢・唐・宋・明の代々の統治の制度を三代の聖人たちの制度と突き合わせてみて、足りない所や歪(ひず)みを考えてみれば、国が危うくなる原因が明らかとなる。しかしながら、三代もその他の代も、上下の困窮により乱れを生じることは古今一徹なれば、困窮に陥る原因を第一に究明しなければならない。


[注解]鎌倉幕府、室町幕府、いずれも天下を掌握したものの、どのような国家を作り、どのように経営するかといった確たる展望がまったくなく、五百年から八百年も続いた三代の王朝の制度がいかなるものかを調査研究することもしなかったため、たちまち政権が不安定となった。徳川の代もこうならぬよう、今からでもただちに三代の制度を調べるとともに、いかに制度というものが政権安定、世の中を安寧にするか、といったことを吉宗公にはしかと認識されたい、という念押しです。


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