佛像圖彙364 付・浄土双六


【364】狸(たぬき) 


[通釈] 

六 狸 


[解説] 

 寅に属するもので、朝は狸となり、昼は豹となり、暮れには虎となるとする。なお、中国では狸ではなく猫とする。 


[浄土双六]19 宿善(しゅくぜん) 


 宿善は、浄土真宗の教義にある語のひとつ。「宿」は「古い」の義で「宿世」を指し、前世・過去世の意。「善」は、善業の意。「宿善」とは、宿世に行った善業の意味を指す。要するに、前世で良い行いをしたこと。覚如上人・蓮如上人がよく示されたとのことです。 また、生れる前の過去世に限らず、今までに積み重ねた善根をさすこともあります。

  絵は熊谷直実(くまがい なおざね)。平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。武蔵国熊谷郷(現・埼玉県熊谷市)を本拠地としました。 平敦盛(たいらのあつもり)を討った直実は出家の方法を知らず模索していた。 法然との面談を法然の弟子・聖覚に求めていきなり刀を研ぎ始めたため、驚いた聖覚が法然に取り次ぐと、直実は後生について真剣に尋ねた。法然は「罪の軽重をいはず、ただ、念仏だにも申せば往生するなり、別の様なし」と応えた。その言葉を聞いて、切腹するか、手足の一本も切り落とそうと思っていた直実は号泣したという。これが絵の場面です。 かくして、建久4年(1193)頃、法然の弟子となり法力房 蓮生(ほうりきぼう れんせい)と称した。 

 熊谷直実の蓮生は次々と寺院を開基しました。 

 出家後間もなくの建久4年(1193)に、美作国久米南条稲岡庄(岡山県久米郡久米南町)の法然生誕地に誕生寺を建立。 

 建久6年(1195)8月10日、京から鎌倉へ下り、東海道藤枝宿に熊谷山蓮生寺を建立。 

 その後、蓮生は京都に戻り、建久8年(1197)5月、法然寺を建立。 

 建久9年(1198)、粟生の西山浄土宗総本山光明寺を開基。 本領の熊谷郷に帰った蓮生は庵(後の熊谷寺)で念仏三昧の生活を送る。 

 元久元年(1204)、上品上生し、早く仏と成り、この世に再び還り来て、有縁の者、無縁の者問わず救い弔いたいと、阿弥陀仏に誓い蓮生誓願状をしたためた。誓願状の自筆が嵯峨清涼寺に残されている。 

 このように、善業とはこういう事という例として熊谷を出したものと思われます。仏教では、寺院の建立は最大の功徳とされ、しかも複数となると、これはもう絶賛しないわけがありません。もともと院号は寺院を建立した者に対して、その功績として授けたものです。  

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