政談65

【荻生徂徠『政談』】65

 ●譜代者の事

 譜代者とは、和漢ともにこれを奴婢(ぬひ)と名付けていにしえより存在する。士分の譜代を唐では部曲という。日本では家人とも家の子ともいう。これは奴婢とは別である。奴婢は奴婢同士で結婚をし、平人とすることはならぬ。部曲は平人と結婚ができる。但し、あくまでその主人の戸籍に入れて、子孫まで他家へ離れることは許されない。しかるに最近は出替わり奉公人が多くなり、武家では久しく絶えて存在せず、田舎の百姓家でもめっきり少なくなった。

 その理由を考えてみるに、譜代とは面倒なものである。家内で生まれた者なれば、幼少の時分より面倒を見、成人しても衣食につけ諸事につけ、押さえつけ使役しながらも世話してやらねばならない。わが家の他に行く所がないのだから、見放すこともできない。その結果、主人に甘えるようになる。性格が悪くて手に負えない場合は追い出すこともやむを得ない。昔、武家が皆知行所に居住していた時は、衣食住すべて心安く、しかも田舎のことであれば性格が悪くてもそのままにして問題はなかった。しかるに武家が次々と江戸城下に居住するようになると、各地から集まってきた人たちであるから、事が起きて訴訟することを何よりも嫌う。出替わり奉公の者であれば、悪者でも期限の一年はこらえることができる。悪事が起きれば身元引受け人に渡し、主人が世話をする必要はない。衣類その他すべて自分で揃えるならば世話をすることもない。毎年使用人を替えたならば、常に新しい人を珍しく使うゆえ、気分も変わってよい。世間で廃れてしまったのなら、供使いとして使うのも賢いやり方である。このような理由から、誰も彼も出替わり者を好み、元からいた譜代を後生のため、慈悲のためなどと理由をつけて、皆暇(いとま)を出した。このために今は武家では譜代者は絶えてしまった。年久しく用を足す者は譜代の者のように思われるが、請状によって契約で置いているのであり、これも譜代者とは言えない。


[注解]引き続き下の身分の者についてです。譜代とは代々同じ主人、主家に仕えること。通常は「譜代大名」としてしか使っていませんが、一生、子々孫々ある主人、主家にいわば飼い殺し状態に置かれる低い身分のこと。奴隷と違うのは、勝手に人身売買したり追い出したりできないのが譜代で、主人は責任もって面倒を見ることが当たり前となっていました。ただ、あまりに素行が悪くて手に負えない者は追い出したものの、それ以外は「譜代」である以上は末代まで面倒を見なければならない。泰平の世となるとすることもなくなり、譜代者を養うことが負担になった。そのため、武家では次々と慈悲のためなどと理屈をつけて追い出し、年季奉公の者を雇うようになった、ということです。つづく


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