政談61

【荻生徂徠『政談』】61

(承前) 戸籍について近ごろ次のようなことがあった。ある同心の弟が同心の家に同居しているが、塩を売って生計を立てていた。その者がさる武家屋敷から出る時、塩籠の中にかんなくず・木切れがあるのを門番が見つけ、「門を出ることはならぬ、それを出してから出よ」と言った。そこで木切れは出したが、かんなくずは出さない。門番は「それも出せ」と言ったところ、その男は腹を立てて門番をののしった。門番は持っていた棒で男を打ち倒し、詮議の末、塩売りと兄の同心共に牢に入れるとのこと。これは定めし隠し町が御禁制であるため、同心が商人を置いた罪に問われたのだろう。

 同心はいろいろ工夫して生計を立てるものである。身分軽い者のことゆえ、同居する弟が塩売りの商いをしていたからといって、隠し町とは別である。また、かんなくずを取ったからといって、それほどの事を盗みとするのは、法に囚われすぎて治めということを弁えていない。『詩経』の大田(だいでん)の篇(詩)には「かしこに落とせる稲束あり ここに落ちたる穂あり これ寡婦の利なり」とある。百姓が収穫したあと、所々に稲束や稲穂が落ちているが、その村のやもめの女などはそれを拾って自分のものにすることは古くから行われており、それを盗みなどとは誰も言わない。昔の『詩経』の時代から今の日本でも、田舎はこのようになっている。それを、都は田舎よりも劣ってかんなくずごときを拾っただけで盗みだと言うのは、いかなる政治による風潮なのであろうか。「乞食」が朽ちた木を拾い、火事場の焼け釘を拾うことも、昔は誰も何も言わなかったのに、近頃では禁止している。鰥寡孤独の類の窮民は、このような落ちこぼれたものを拾って暮らしをしている。放火を禁止するのは最もなことなれど、鰥寡孤独の類に対する取り計らいはせず、なにか事が起きるとそれをすべて禁止、処罰するとなると、やがて彼らは立ち枯れてしまうではないか。


[注解]●詩経 孔子がおよそ3千伝わっていた古い詩を取捨選択して300余りにまとめた最古の詩集で、儒家の経書の一つとなった。しかし、その中には淫らな作品もあり、孔子編輯を疑う説が古くからある。ただ、孔子は弟子らに対してよく『詩経』の作品を引用するので、孔子が推奨していたことは確か。 ●隠し町 本来は私娼窟のこと。暮らし向きが苦しい武家などが密かに屋敷内を町人に貸して商売をさせ、その上がりからいくらかを貰うことが横行した。幕府はたびたび禁令を出しているが、なくなることはなかった。

 今なら間違いなく生活保護の対象となる困窮者、身寄りのない孤独な人たちを真っ先に保護するというのが幕府の大方針。これはあまり授業で教えていないようですが、鰥寡孤独という熟語が今は知らない人(特に政治家、行政)が多いのも、いかに現代がこういう人たちに無関心である証拠です。救済する制度がありながさ、最近はまるでこの制度そのものが悪で、すがろうとする人を与党の某女性国会議員が先頭に立って悪しざまに言い、それに雷同する支持者を増やしている。その結果、保護を受けていない人のほうが収入が少ないのだから、支給額はそれ以下にすべきという本末転倒の暴論が盛んになってきた。窮民救済と適材適所が本書の根本をなすものですが、窮民となり「非人」「乞食」認定をすることは行政の恥である、という徂徠の将軍に対する直言は、現代においてますますその意義が強くなっているのは情けないことです。


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