政談60
【荻生徂徠『政談』】60
(承前) 今、施薬所を建てられたのは大いなる御慈悲であられるが、今少し下々をよく御覧あそばされたほうがよろしい。賤しい者は病で亡くなるのは運命である。病が治ったとしても、そのあと生きて貧困により飢えや渇きといった状態になってしまうのは、賤者にとっては大変な難儀である。下情に通じた適任者を町奉行とし、政治の根本をよく心得て、町より悪人や「非人」が出るのは役儀上の恥であることを理解させて、過度に上からの指図や圧力がなく、才智ある人の料簡のままにさせたならば、「非人」の取り納めもいかようにもなることである。古くからの「乞食」については車善七方において人別を立て、やたらに新こもかぶりを「非人」として配下に置くことは禁止すべき。田舎の「乞食」までも善七や松右衛門の配下とするために監督が行き届かず、支配が重複していてよくない。田舎の「乞食」はその村が支配すべきである。
[注解]●施薬所 小石川養生所。吉宗のもとで始められた目安箱に投書した町医師小川笙船(しょうせん)の意見により小石川薬園内に開設(享保7年、1722年)。貧しい庶民は無料とするなど、画期的なものとなった。そのため「患者を使って人体実験をしている」といったデマも飛ばされたが、行政の在り方を示す一つの例として示唆に富むものとなっている。吉宗亡きあとは次第に荒廃し、時の行政によってこうも変わるものかという例証として参考になる。 ●松右衛門 車善七とともに代々「非人頭」を務めた。
なかなか徂徠の意見は厳しい。貧民にとって施薬所の設置は大いにありがたく、これこそご政道として評価できる。しかし、病気で死ぬのはその人の運命(さだめ)であり、たとえ施薬所により快癒したとしても、その後の厳しい暮らしは変わらない。暮らしが変わらなければ「非人」「乞食」といった貧民は今後も増え続ける。これこそ行政の恥であり、施薬所ぐらいで得意になってはいけない。それよりも、よく下情に通じた者を適材適所で(これは徂徠の主張)町奉行として採用し、事務的・機械的に貧困による犯罪者や無宿者を「非人」などとせず、地方から来た者は本国に戻し、江戸の者なら手に職をつけさせて不良とならないようにすることが第一。施薬所はその上でなすべきこと、というわけです。対処療法や人気取り、疑惑隠しのための小手先の政治はますます事態を悪くする。
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