佛像圖彙271
【271】蠶養童子(さんようどうじ)
[通釈]
辨財十六童子第九 蠶養童子 梵字はウン
又悲満童子と名づく。
内縛印
本地は勢至菩薩
[解説]
蠶養童子は悲満童子ともいわれ、本地は勢至菩薩とし、両手に蚕(蚕の繭)器を捧げ、神聖の気を司る。勢至菩薩を本地としているが、我が国では勢至菩薩が養蚕信仰に関係しているためのようである。
[雑記] 「百年後の仏教」
【42】文学博士 加藤玄智(1873-1965 明治~昭和期の宗教学者。陸軍士官学校教授をへて母校東京帝大の助教授。のち国学院大教授などを歴任し、宗教学、神道学を講義。また明治聖徳記念学会の創設に参加した。神道の海外紹介にもつとめた)
「拜復 御同樣の御質問は既に「日本及日本人」に於て提出せられ申候、その節は耶蘇の言葉を以て致し候、今回は同樣の御返事を釋尊の金言を以て致し度くと存じ候 愼勿念過去、亦勿願未來、過去事已滅未來復未至、現在所有法、彼亦當爲思(中阿含經、四三巻) 不取敢小生の立場御應迄、早々不一。」
質問に対する回答を「中阿含經」から該当部分を原文(白文)のままの引用提示によって代えていますが、このぐらい読めて意味が分からぬようでは、そういう人に任せることは出来ぬと試しているようにも感じられます。
訓読させていただくと、「慎みて過去を念(おも)うことなかれ、また未来を願うことなかれ。過去の事はすでに滅び、未来はまた未だ至らず。現在法の有る所は、彼もまたまさに思いをなすべし」。
すでに滅んだ過去やまだどうなるかわからぬ未来のことをあれこれ思い願うよりも、現在の法について、法を守り伝える人の状況について、省察熟考することが大切である──このような意味ですね。
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