佛像圖彙259
【259】金剛童子(こんごうどうじ)
[通釈]
金剛童子 梵字はウン
跋闍羅(ばさら)は、これを金剛という。
[注]
跋闍羅 伐折羅・跋折羅・縛日羅・伐闍羅などいろいろな表記がある。硬くてどんなものでも砕く鉱物といわれたもの。金剛石。金剛。仏教では智恵などの堅固なことにたとえる。
[解説]
金剛杵の威力を神格化した尊像。蔵王の粉本ともいわれる。粉本(ふんぽん)とは、画家(仏像なら仏師)が制作の参考にするための模写,見取図,写生帳類の総称。下書き。下絵。
[雑記]
「百年後の仏教」 【34】
名教中学校長 龜谷聖馨(かめやせいけい 名は聖馨、号を天尊と称し、大乗仏教の華厳教理を研究した仏教学者で、東京の名教中学校校長も務めた教育者でもある)
「『百年後の佛敎』に對し、吾輩は二樣の觀察をなす。
一、今のまゝで進まば、佛敎は百年後には滅亡する。其は今の宗敎家、即ち十數萬の大袖は、俗的勢利にのみ狂奔するからである、釋尊は王位を捨て、一沙門として大法を傳へ給ふた。然るに其の流を汲む今の坊さん達は、法輪を轉ずることを思はず、只世間の榮利を得んことを欲して居る、どうして佛敎は滅亡せずに止まふか。
二、釋尊出世の本懐にして、佛敎の根本法輪たる華嚴の大法を世界に弘通すれば、百年後どころか、永遠に佛敎は盛になる。此の大法を轉ずる、果して誰が任であるか。」
釈尊は王位を捨てて一沙門として大法を伝えたのに、今の多くの僧侶は世俗の栄利に狂奔している、これでは100年後には仏教は滅亡する、とした上で、仏教の根本法輪である華厳の大法を広めることができれば、仏教は永遠に隆盛する、この任を負う人は誰かいないものか、としています。
仏教は仏、つまり釈尊自身が作って広めたものではありません。弟子たちが記録しまとめ、それをもとにかみ砕いて人々に教えた。その教えをよしとする人たちが弟子の弟子となり、さらにその弟子となって、教えを受け継ぎ広め続けて現在に至っています。沙門といわれる仏弟子、本職の僧侶のおかげで2500年以上前の釈尊の教えが今に伝えられているわけで有難いことです。しかし、ただ教えるだけなら誰にでもできること。教えが人々の心を打ち、喜んで信奉するには、教える人が教えの実践者でなければならない。表では神聖な僧侶の風を装いながら、裏で戒律に背くことをしているのでは、衆生をだますことはできても、我が身の中におわす仏神をだますことはできない。しかし、そういうことも構わず、金儲けや贅沢な暮らし、社会的地位を求めるのでは、もはや仏教徒とはいえない。当たり前のことをどの回答者も口を揃えて嘆き、喝破する。
結局、繰り返しますが、仏教に限らず宗教や聖人賢者の教えを守り伝えるのは人であり、経典や作法、荒行ではないということですね。試験でよい点を取って合格した人が、人格的にも立派かというと、そうとは言えない人もいる。決まりを要領よくできても、心がこもっていなければ自分の欲や栄達のためでしかない。人生、それでいいという人もいるでしょうが、人としての道を教える人はそういう独善であってはならないのではと思います。
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