佛像圖彙255
【255】厳島(いつくしま)
[通釈]
厳島
四宮(よのみや)権現
丹生権現の御息(女・一字欠)である。
本地は大辨財天女。
[解説]
安芸の厳島より勧請されたので厳島という通称で、正しくは四宮権現。神戸にある四宮権現(四宮神社)は 厄除け・水商売の神である市杵島姫命が祀られている。
[雑記] 「百年後の仏教」
【32】帝國大學助敎授 紀平正美(きひらただよし、哲学者。元学習院教授、国民精神文化研究所所員。文学博士。三重県出身。日本におけるヘーゲル哲学研究の先駆者) 「一切の寺院は古美術の展覧場となるべし。僧侶といふ變なものはなくなり、敎育者が宗敎家たるべし。爾時佛は再度拈華微笑(ねんげみしょう)せらるゝであらう。」
100年後は、すべての寺院は古美術の展覧場となり、僧侶はいなくなり、教育者が宗教家となるであろう、さすれば、再び仏の教えは心から心へと伝わるようになるだろう、と、手厳しい回答です。
「僧侶という変なもの」というのは、元来、崇拝の対象である仏像、仏画類を芸術品、美術品としてその価値の高さを誇ったり客寄せに使っている一部の僧侶に対して批判の意味を込めたものでしょう。
その仏像が国宝や重要文化財に指定されると、それだけで有難がり、本来安置されている場から宝物館や博物館に移され、特に国宝の場合、大仏のような巨大なものなどは別にして、レプリカを制作してそれを安置し、本物は深く蔵して見せないようにしてしまう。仏像を制作した人、依頼した人、寄進した人たちは、それを拝む対象としたはずなのに、別の価値によって扱いが変わる、それを受け継いだ僧侶たちもよしとするのでは、なんのための信仰かがわからなくなる。
美術的、学術的に価値があろうとも、経年劣化などによって朽ちてしまったら、それもまた自然の流れであり、ありのままを受け入れる。信仰のために作られたものも永遠ではない。仏の教えは心から心へと伝えられ受け継がれるもの。「これは高価な仏像だ」ということに執着するようでは、「変なもの」呼ばわりされるのも致し方ないかもしれません。
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