佛像圖彙249


【249】出羽湯殿権現(でわゆどのごんげん) 


 [通釈] 

出羽湯殿権現 出羽の国大梵字川の水上に和光して、湯殿権現として顕現された。

本地は法身の大日如来である。


[解説] 出羽蔵王権現は、元々は温泉の湧出する巨岩を神格化したもの。この巨岩の有様は人に語ってはならぬと古来よりいわれている。芭蕉も「語られぬ湯殿にぬらすたもとかな」と詠じている。弘法大師の開山との伝承があり、出羽三山の一山として崇拝を集めた。弘法大師伝説はいろいろあるが、温泉を掘り当てたという話も各地にある。 


 [雑記] 「百年後の仏教」 

【29】曹洞宗大学教頭 忽滑谷快天(ぬかりやかいてん 仏教学者、曹洞宗の僧侶、文学博士。道号は仏山。古代禅学及び東洋禅学思想史を研究し、禅仏教を内省主観主義として捉えた「忽滑谷禅学」と呼ばれる禅道思想を確立した。大正天皇の御大礼仏教雑誌『星華』、『達磨禅』創刊者。 曹洞宗大学が大学昇格時に駒澤大学に改まると、初代学長に就任) 

「百年後には佛敎は滅亡して佛敎雜誌のみ殘留すべく、其雜誌は中央佛敎なるべしと存じ候。」


  これはどう解釈したものやら。このまま受け取れば、痛烈なイヤミのように取れます。つまり、このような愚問をネタにしているようなら、仏教は滅んで、愚問を弄ぶ低俗な雑誌と、それを喜ぶ俗人ばかりが残ることだろう、ということ。

  繰り返しですが、仏教は因果応報を説き、今撒いた種がのちに結実する。良い種であれば良い実が出来るし、悪い種を蒔けば悪い実ができる。その時に喜怒哀楽しても遅い。百年後がどうなるかよりも、今、何をなすべきかを雑誌として訴え、考究するのが使命ではないか、ということを忽滑谷は言外に示しているのでしょう。  

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