佛像圖彙247
【247】伊豆箱根権現(いずはこねごんげん)
[通釈]
伊豆箱根権現 本社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)である。 駒願権現、白和龍王、右鵲王、左鵲王及び客人宮がある。
[解説]
伊豆箱根権現は、元々別の伊豆山権現と箱根権現を一つにしてしまったので無理のある尊名になっている。鎌倉将軍家がこの二社を二所権現として崇めたので混乱が生じたのであろう。
伊豆山権現は、海岸に向けて温泉が走る様に湧出しているのに神秘を感じた古代人が崇めたのが始まりと考えられる。のち神仏習合して伊豆山権現に。
箱根権現は、箱根の主峰神山を神格化したことに始まる。平安初期の僧万巻上人により神仏習合となり、箱根権現と二社ともに坂東の武士に尊崇された。
[雑記] 「百年後の仏教」
【27】蒲原有明(かんばらありあけ 詩人。本名は蒲原雄。東京生まれ。D・G・ロセッティに傾倒し、複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人として、『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称され、北原白秋、三木露風らに影響を与えた)
「貴問「百年後の佛敎」の百年後はおろか五十年後の豫想など出來得べきものでないので、これは空想に過ぎぬこととなる。また「滅亡近し」なども危激の言であるが、現今に於ける日本佛敎が形式に硬化し了りて惰性的に現状の維持すら容易ならざるものあるは事實である。我等は眞に煩惱と無常の生を痛感して現實に對する信順の一念に現はれて來る綜合の世界に於て同信同證の歡喜を受けつゝ同朋的經營につとめねばならぬのであるが、寺院佛敎としても歴史的勢力のみならず内的統御力を有して居るからには現實に順應して覺醒することに於て新たなる宗敎的意義を認めしめ得るであらう。これが出來ぬ宗派があるならばそれは最早問題外である。」
現状の仏教は形式に囚われ惰性的に維持するのも困難であるとし、改めて煩悩と無常の生を痛感して、現実に順応しつつ覚醒することで新たな宗教的意義(宗教が必要であるという意義)を世間に認知させることができるだろう、としています。
宗派、教団のための宗教、信仰であってはならない。檀家など身内や協力者だけ相手にし、維持できればそれでいいという考えでは衰退しかない。100年前の当時はまだ檀家制度が厳然と存在し、地方では地域が寺院を支えていた。葬儀や法事も事欠かなかったから、寺院経営の心配は無かったでしょうが、仏陀の教えを一人でも多く広めるという点では内輪の世界に安住していてはいけないわけで、先祖供養だけでなく、生きている人の心のよりどころ、迷いや不安を少しでも和らげてくれる場としての寺院の存在や意義が広く認知されなければ衰退しかない。どの回答者も等しくこれを懸念しています。それだけ100年前の平均的な宗教者たちが漫然と日々の勤めをするだけの状態であったということでしょう。
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