佛像圖彙244


【244】飯縄権現(いいづなごんげん) 


 [通釈]

 飯縄権現 梵字はカーン 

本地は不動明王 


 [解説]

 飯綱とも書かれる。北信飯縄山の山岳信仰による神仏混淆の神。猪に乗り羽を生やしたいわゆる烏天狗(からすてんぐ)の形をとる。戦国武将の信仰が篤く、殊に不識庵上杉謙信の兜の前立ては著名。 


 [雑記] 「百年後の仏教」 

【25】文学博士 南條文雄 「「百年後の佛敎」は云ふに及ばず、現今の佛敎も眞實無妄の眞理を體得して自他平等に轉迷開悟の利益を得るに非ざれば駄目なり、虚仮不實の凡夫の心ばかりでは自損々他の外なし、自力なり他力なり自利利他の佛の大悲心を顯現するに非ざれば何の面目ありてか佛敎徒と自稱することを得んや。」

  仏教の専門家による仏教の関係者に対する提言、要望、苦言の回答なので、特に学者の場合は専門用語が多く、よほど仏教の「論」に通じていないと、表面的な読みしかできずもったいない気もします。

  真実無妄は、間違いや嘘ではない、本当のこと。または、嘘や偽りのない様子。「無妄」は騙したり、偽らないこと。

  転迷開悟(てんめいかいご)は、煩悩の迷いを翻して菩提の証を得ること。 迷いを転じて悟りを開くこと。

  虚仮不実(こけふじつ)は、親鸞聖人が自らを「虚仮不実のわが身にて」と称したのが由来で、阿弥陀如来の真実の光の前に見抜かれた親鸞は、貪欲(とんよく・むさぼり)・瞋恚(しんに・いかり)・愚痴(ぐち・おろかさ)の三毒の煩悩をさらけ出し、自身の不実を不実と知らせてくれた、阿弥陀如来の真実に出遇うことで気づかされたということ。

  以上から、嘘偽りという皮をかぶったのが凡夫であり、仏教徒も形だけで中身が凡夫のままでは自分にも他人にも損である。自分も他人も利する仏の大悲心を顕現することに努めなければならない、ということ。

  どの回答者にも共通するのは、仏教は人によって伝えられ広まってゆくものだから、それを伝道布教する側が教団や寺院の維持や金儲けといった俗事にかまけず、ひたすら本分を尽くすことである、という要望。とはいっても、檀家制度も崩壊寸前で、寺の経営も住職に負わせるのは酷というもの。奈良時代のように官立の寺院であったり、江戸時代のように各大名が菩提寺を持ったり、幕府や大名の篤志家などが荒れた伽藍や仏像の補修に大枚の寄進をするといったことでもあれば経営も楽でしょうが、そういう時代に戻ることは難しいことでしょう。  

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