政談36
【荻生徂徠『政談』】36
(承前) いにしえの聖人の説かれた道に、民に孝悌(こうてい)を教えることを第一としているが、儒者などに講釈をさせて民に聞かせ、民自身が心から悟って孝悌の行いをするようにさせると思ったなら、それは大間違いである。前に述べたように、町村内の人々が睦まじくなり、民の風俗が良くなるように奉行が仕込むことを孝悌を教えると言うのである。されども田舎では一郡内を奉行一人で治めても、何事も我が身のこととして勤めたならば真の治めも可能であろうが、城下は町が広くて人の数が夥しく、今の風俗は殊の外悪いゆえ、なかなか一人の力でできることではない。城下を四つにも五つにも分け、それぞれに奉行を置いて管轄区域を限って治めるようにしたいものである。
[注解]●孝悌 悌は弟。孝は親に、悌は兄や目上に対して従うこと。孔子は孝悌について、仁をなす本(もと)である、と述べている。江戸時代、幕府は文教政策として論語を中心とした儒学を採用したことから、このような徳目が重視された。
江戸を四ないし五の区域に分けてそれぞれ奉行(区長)を置いて治めるべき、という提言は、大阪都構想なるものの主張のような感じです。この構想の真意は分かりかねますが、雑多な都会を治めるには民の教育だけでは不十分で(徂徠も教育について否定はしていない)、実際の事として江戸の町を細分化してそれぞれ奉行を置くべきとする。江戸も大坂もその他の都会も、奉行は幕末まで一人。江戸は南北、大坂と京都は東西二つの奉行所があり、奉行は2人いたものの、月番制で、実際に担当するのはどちらか一人。徂徠の提言はとうとう実現されずじまいでした。
民の風俗が良くなるように奉行が仕込む(「仕込む」は原文のまま)というのは額面通りとれば反発する人も多いでしょうが、前段でも徂徠が述べていたように、住民の暮らしや直面する諸問題を奉行(あるいは代官)が親身になって対処すれば、人々も奉行に感謝し、風儀がよくなる、風通しのよい世となる、ということ。為政者がただ勇ましく掛け声ばかりかけて、やれ改革だのなんだのと言ったところで、その先になにがあるのかがまったく見えず、一方で現実の問題・悩みに全く行政が対応してくれないのでは、真の治世とは言えない。徂徠の提言の矛先は常に為政者、行政に向けられています。これは論語も同じ。論語というとなにやら修身、道徳の書として毛嫌いする向きも多いですが、それは明治以降の扱い方がいわゆる保守反動となったので、本来は論語も孟子も為政者に向けての政治の要諦、為政者の心構えを述べたものだし、そのようにして見ると、実によく理解できます。
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