佛像圖彙241


【241】那智(なち) 


 [通釈] 那智 梵字はキャ 本朝第一の大霊験所である。熊野二所権現。 芸旦国より本朝の紀伊の国無漏(むろ)の郡音無川の源、屏風ヶ丘の王宝殿に飛来された。 本地は観音菩薩 


 [注] 芸旦国 架空の国。恐らく補陀落浄土を仮定したのではないか。なお、「藝」と「芸」は本来別字だが、ここでは通行の平易な表記に従っておく。 


 [解説]

  熊野は海上交通の要所でもあり、徐福伝説(秦の方士の徐福が始皇帝の命で不老不死の仙薬を探し求め、日本の和歌山にたどり着いたとする伝説)もあるなど渡来系の神と本朝の山岳信仰が結びついた物てはないかと思われる。

  以下、Wikipediaより「熊野那智大社は、現在は山の上に社殿があるものの、前述のように元来は那智滝に社殿があり滝の神を祀ったものだと考えられる。那智の滝は「一の滝」で、その上流の滝と合わせて那智四十八滝があり、熊野修験の修行地となっている。熊野三山の他の2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されたが、那智では如意輪堂が残され、やがて青岸渡寺として復興した。青岸渡寺は西国三十三所一番札所である。那智山から下った那智浜には補陀落渡海の拠点となった補陀洛山寺や熊野三所権現(渚王子)がある。」 


 [雑記] 「百年後の仏教」

 【22】学習院教授 鈴木大拙(仏教学者、文学博士。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く「近代日本最大の仏教学者」。1949年に文化勲章、日本学士院会員。名の「大拙」は居士号であり出家者ではない)

 「百年後と云ふより五十年後又は三十年後と云ふた方がよいかも知れん。近來は何事も急轉直下的に動くやうである。大體の處に於いて、今後の佛敎はどうかと云のに、寺院の多くは破毀せらるべし。貴族的氣分はなくなるべし。因襲に囚はれなくなるべし。社會的に活動すること多かるべし、これが出來ぬことなら佛敎は滅亡すべし。但し此に一の希望あり、何とかして山林的佛敎の淸らかさと、寂しさと、奥床しさとは之を保存する工夫をしたし。」 

 激動の世の中であるから、寺院の多くは世間から破毀され、そのため僧侶は貴族的な気分ではいられなくなり、それが却って因襲に囚われなくなるであろうし、世間に出て社会的に活動することが多くなるだろうし、このようにできないのであれば仏教は滅亡するだろう、と予測しています。一方で、山林的仏教の静寂さや奥ゆかしさを保存する工夫もしたい、と希望も。

  仏教の真髄、精神は堅持しながら、同時に世の中の動きに柔軟に合わせることで将来は明るいものとなるということですね。   

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。