佛像圖彙240
【240】白山妙理大権現(ばくさんみょうりだいごんげん)
[通釈]
白山妙理大権現 梵字はキャ
元亨(げんこう)にいう「伊弉諾の尊(いざなぎのみこと)である」と。養老元年、泰澄法師が白山に登りひたすら持誦を堅持したところ、たちまち九頭の龍が出現した。これは方便にてその体を表したのである。その時のお姿は十一面觀世音菩薩として現われなさった。
[注]
標題の「白山」は「ばくさん」と読み仮名が振ってある。「はくさん」でよいと思うが、今これに従っておく。
元亨 書名。正しくは元亨釈書。鎌倉時代の臨済宗の僧虎関師錬の撰。本朝の仏教史。
[解説]
白山妙理大権現は、白山を崇める山岳信仰と修験道が結びついた白山信仰の主尊。白山は奈良時代の僧泰澄に依って開山された。明治の廃仏毀釈により白山修験は壊滅した。
[雑記] 「百年後の仏教」(番外)
このアンケートはまだまだ続きますが、「佛像圖彙」の訳注の協力を頂いている冢堀庵氏に同様の質問に対するご見解を伺いましたので、ご披露させて頂きます。
「無くなりはしないでしょうが宗教全般は廢れると思います。まぁ檀家制度は崩壞するでしょう。私は元々宗教は個人で選ぶ物と思っていますので。 (崇佛敬神の念は薄くは無いのですが、基本は神儒仏道混淆です。一番許し難いのは他の宗教を極端に排する輩です)」
私はというと、仏像を眺める(拝する以前の傍観的態度)ことは幼少の頃から好きであるものの、それに祈りを捧げるといった気持ちはほとんどありませんでした。しかし、母の死や、無謀にも本書の訳注をしてみようという気になり(全く動機もなく、ただ端本が手元にあって、ふと思いついただけ)、如来や菩薩、その他さまざまな仏神を一つずつ調べてゆくとともに今更ながら基本的なことを知る有様。
こんな程度の者なので、仏教や仏教界がこれからどうなるかなど、とても分かるものではありません。ただ、理屈をいえば、仏教は因果応報が根本思想であることからすれば、常に今のありさまが将来を決め、報いを受けることになるわけですから、それを思えば変な事はできないはず、と考えます。ひたすら善根を積むこと。宗派、教団、寺院の維持も大切でしょうが、結局は教えを広めること、人々の安寧を祈ることに尽きるのですから、「うちでは般若心経はお唱えしてはいけない」などといった態度に将来はあるのか、どういう報いがあるか、専門家である僧侶こそ第一にもう一度考えてほしいように思います。
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