佛像圖彙239
【239】本宮(ほんぐう)
[通釈]
本宮 梵字はキリーク
崇神天皇の六十五年に初めて熊野本宮を建てた。
本地は阿弥陀如来
[解説]
熊野三山(本宮・新宮・那智各大社)では、
熊野本宮大社の主祭神、家都美御子神(けつみみこのかみ)を「阿弥陀如来」
熊野速玉大社の主祭神、熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)を「薬師如来」
熊野那智大社の主祭神、熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)を「千手観音」
とし、三山はそれぞれ、
本宮は西方極楽浄土
新宮は東方浄瑠璃浄土
那智は南方補陀落浄土
であると考え、平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになった。なお、祭神は八咫烏(やたのからす、やたがらす)という説もある。
[雑記] 「百年後の仏教」
【21】豊山大学長 加藤精神(真言宗豊山派の学僧、仏教学者、文学博士、大正大学名誉教授)
「敎義は世界の學者宗敎家の間に普く考究せられて、特に深遠なる敎理は彼等學者の獨占するところとなり、僧侶は彼等の前に平身低頭して僅に佛敎敎義の一班を指示せらるるを以て無上の光榮と爲すこと恰(あたか)も大道易者の遠藤隆吉博士に於けるが如くならむ、寺院は檀信徒惣代の命令を遵守する火の番留守居に過ぎず。
僧侶は二種に分れ一は有識僧侶にして政治、法律、醫術、經濟等を常識として僧侶を兼業とす、二は勞働的僧侶にして專ら葬儀株式會社の日雇人足と爲り糊口するに至る。」
僧侶は今後、教義については学者に独占され、寺院は檀信徒総代の命令のままに火の番・留守居役になり下がる。更に、僧侶は兼業をする人と、葬儀を請け負う日雇いのような人の2種類に分かれる、と予測。100年後の現在、ほぼ的中しているのではないでしょうか。否定する僧侶もおられると思いますが、かつての京都五山、鎌倉五山の僧侶に象徴されるように、昔の僧侶は宗教者であるとともに学者でもあり、文人(教養人)でもあった。空海などは、高僧である以上に学者であり、多くの註釈をものして学識の豊かさには頭が下がるばかりです。
檀家制度は江戸時代に確立されたものですが、一つの地域に一つの寺を置き、地域ぐるみで檀家となって檀那寺を支えたことで、僧侶は日々のお勤めに専念出来たし、さらに学問に励む余裕もあった。しかし、現在は檀家をやめる人や家が増え、寺院の維持ができなくなって廃寺となるものが増える一方とのこと。少ない檀家で維持するには住職が教員を兼業したり、何か副業を持つなどしてみずから収入を得るしかない。この結果、経文の意味を完全には理解できない僧侶もおり(動画でそれを隠さない僧侶も)、葬儀が収入のほとんどという寺院もあり(葬儀社に登録し、宗派に関係なく要請があれば請け負う)、教祖の講演や大量の出版物などで派手に活動している新興宗教とは対照的な有様です。
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