佛像圖彙219
【219】祇園大明神(ぎおんだいみょうじん)
[通釈]
祇園大明神 梵字はベイ 二十四日
牛頭(ごず)天王と称する。実は素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。
城州(山城)八坂の里に鎮座する。一社は牛頭天王、一社は稲田姫(割註・少将菩薩と称する)、一社は八王子。
[解説]
祇園大明神は、牛頭天王・スサノオに対する神仏習合の信仰から生まれたもの。明治の神仏分離以降は、スサノオを祭神とする神道の信仰対象に。京都の八坂神社もしくは兵庫県の広峯神社を総本社とする。牛頭天王は元々は仏教的な陰陽道の神で、一般的には祇園精舎の守護神とされる。中国で道教の影響を受け、日本ではさらに神道の神であるスサノオと習合した。これは牛頭天王もスサノオも行疫神(疫病をはやらせる神)とされていたため。本地は薬師如来。
このように、祇園大明神はさまざまな信仰、宗教を取り込んだもので、我が国固有の神となっている。 明治の神仏分離令で、神社での仏式の行事が禁止され、また、祭神の名や社名に「牛頭天王」「祇園」のような仏教語を使用することが禁止されたことから、祇園社・牛頭天王社はスサノオを祀る神社となり、総本社である京都の祇園社は、鎮座地の地名から八坂神社と改称、その他の神社では、京都にならった八坂神社のほか、祭神の名前から素盞嗚神社・素戔嗚神社、祇園神社などと改めて現在に至る。
[雑記]
「百年後の仏教」 【2】 前豊山大学長 権田雷斧(ごんだらいふ)
「現代の消息を以て推考するに、今より一百年後の佛敎は純乎たる優婆塞即ち在家宗と成るべし、隨つて政治に關係する佛敎学問佛敎と成るべし、戒律なき佛敎と變化して修道の實行は頗る衰頽すべし、思ふて之に至れば實に慨歎に耐へざるの感あり、嗚呼。」
100年後は在家のみとなり、修行も衰退するとみる。在家が基本で寺院を持たず、厳しい修行をしないというのは浄土真宗を想起しますが、豊山(ぶざん)といえば真言宗豊山派。修行をしない、というと語弊があるようですが、日々厳しい戒律のもと修行をする宗派や僧侶の中には、批判的な考えの方も今もおられるようです。
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