佛像圖彙218

【218】地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

[通釈] 

地蔵菩薩 梵字はカ 二十四日 

十輪経疏にいう「地とは初めであり、蔵とは終わりである」と。 

十王經にいう「号して覚華自在仏と名づく」と。 


 [注] 

十輪経 新旧二つの漢訳がある。旧訳は大方広十輪経、訳者不明(一説には曇無讖)。新訳は大乗大集地蔵十輪経、唐の玄奘訳。十輪経疏は十輪経抄の事と思われる。 

十王経 前出 


 [解説] 

 地蔵菩薩も前出。地蔵は立像が多く、路傍の石仏などは殆どが立像だが、この図は坐像。坐像の地蔵は寺院の本堂にしっかりと安置されているのが多いが、坐像は如来像のように安定感がある。 


 [雑記] 

 大正九年(1920年)刊行の『中央佛敎』第四巻第七号に、「百年後の仏教」という特集を組み、当時の僧侶や仏教学者らにアンケートをとるという企画がなされています。以下、回答を一つずつ紹介していきます。ちなみに、当時は仏教は滅亡するといった説が広く行われていたようで、明治以降、国家神道の強化もあって仏教は弔い専門という暗いイメージとなり(神道は出産から七五三、合格祈願、結婚式、開店・開業・地鎮祭など祝い事に神職に御祓いをしてもらうことで明るいイメージに)、衰退してもやむなしといったことが世間一般の捉え方だったようです。 

 百年後にはどうなっているか、また、これから仏教界はどうすべきかといったことで各位の思いや提言が述べられています。奇しくも今はその100年後に当たり、中には今を見通したものもあり、慧眼ぶりに脱帽です。 

 【1】日蓮宗大学教授 清水龍山 

「各宗徒の自覺を促すも百年河淸已むことなくんば各宗の現制度組織を解體し之を政府の直轄を爲し、政府は宗敎局を置き嚴正不偏以て僧階の進退住職の任免等信賞必罰鞭撻警策し、最善の注意と努力とを拂ふべし、但し寺院を廢合往昔の國分寺の如く土地の距離に準據して一縣若くは一國に幾許寺を制限し、其の住職は該地方の社會敎導は勿論、小、中、高、專、大學の敎育指導又は關渉し得る底、即ち國師國寶を以てすべし、最古は最新なり、現代の如き荒頽の氣分の停滯を洗滌するには之に過ぎたる淸涼劑なし。噫。」

 これは思い切って各宗を解体したうえで政府の直轄下におき、宗教局を創設して住職の任免、僧侶の位階をはじめ賞罰を一手に行い、更に地域ごとに寺院を往昔の国分寺のように制限して設け、教育から社会教導まで担当させよ、というもの。これはかつての護国寺を思わせるもので、なかなか過激です。つづく  

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