佛像圖彙192
【192】歓喜仏(かんぎぶつ)
[通釈]
歓喜仏 梵字はウーン(形が崩れているが二日の燈明仏と同じと思われる) 十一日
経(法華経と思われるが未詳)にいう「歓喜地に住み、能く衆生を済度する故に名づけられた」と。
[解説]
如来の姿をしており、明らかに天部の歓喜天とは別と思われるが不明。十二光仏の燈明光仏とも思われるがこれも未詳。
ちなみに、阿弥陀仏は光明によって一切衆生を救済して余すところがない。衆生は光明に照らされて心に歓喜を生ずる。そこで阿弥陀仏は歓喜光仏とも呼ばれている。また、菩薩が長い修行の果てに煩悩を断じて悟りに近づき、喜びを得る位を「歓喜地(かんぎじ)」ということから、この像は阿弥陀仏を示していることも考えられる。「光」「光明」の尊像が多く出てくるが、この光は寂光土(如来のいる浄土)を示す。
[千手観音の持物]37
金輪手
菩提心を失ったために、それまでに得たさとりの位や修行などを失ってあともどりすることを退転・不退といいます。それを失わず続けることを不退転。それを表したのが不退金輪。
また、仏の説法が煩悩や誤った考えを破砕することを、転輪王が輪宝をもって敵を降伏させるのにたとえて、法輪といい、転は説くことをいう。仏が教えを説いて、一切衆生をさとりに導くこと。転妙法輪も示しています。
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