佛像圖彙163

【163】倶利伽羅不動(くりからふどう)


[通釈]

俱利伽羅不動 梵字はカンマーン

『俱利伽羅經』の説では「俱利伽羅の身と現れて九十五種の大外道を降伏する」とある。或いは別の説では、口の剣は本尊、右の剣は龍、左は索である、と。剣索とは、男女定惠の二法である。


[注]

俱利伽羅經 正式には俱利伽羅勝外道伏陀羅尼經。唐の金剛智の訳。

定恵 禅定と智惠(慧)。


[解説]

 倶利伽羅不動は、八大龍王の一尊。倶利伽羅はサンスクリットのクリカから。クリカは、八大龍王の一つで、密教の仏典では黒龍の意味に解され、倶利伽羅龍と呼ばれている。

我が国では不動明王信仰とともに武士の大切にする剣太刀とも関係があるので好まれ、鎧や兜などにも刻まれ、刀剣の彫刻など、広く武器武具に用いられた。

高野山の龍光院には、空海が淳和天皇の天長元年(824年)に、神泉苑で祈雨のおりに使用した倶利伽羅剣があり、その剣鞘は空海作と伝わる。

『倶利伽羅大龍勝外道伏陀羅尼経』には次のようにある。

「不動明王と智達外道が神通力を比べて争ったときに、不動明王は智火の大剣となり、智達外道もまた智剣となった。そこで不動明王は倶利伽羅龍王となって智達外道剣を呑もうとした。その龍の長さは十万由旬、口から悪気を吐いて、その音は万億の雷が一時にとどろくばかりであったので、智達外道もついに降状した」

 大日如来が変じて不動明王となり、不動が変じて剣となった。これは、三輪身説のなかで、諸仏諸尊を自性輪身・正法輪身・教令輪身という三種に分けて関連づけている。

 三輪身説とは、密教において、如来が教導すべき対象である衆生の性質に合わせて三種の姿を取るとする考え方。本来の姿である自性輪身(じしょうりんしん)、正しい法を護るために菩薩の姿をとる正法輪身(しょうぼうりんしん)、導き難い相手に対して忿怒尊の姿をとる教令輪身(きょうりょうりんしん)の三身観をいう。

 下の絵は葛飾北斎画「倶利伽羅不動」。

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