佛像圖彙134
【134】金剛幢地蔵(こんごうどうじぞう)
[通釈]
金剛幢地蔵 梵字はラク
左手には金剛幢を持ち、右手は施無畏(せむい)の印を結ぶ。
修羅道の衆生を済度する。
[注]
幢 竿の先端に、種々に彩色した布でつくった旗をつけたもの。軍陣などの指揮や、儀式に用いた。はたほこ。仏教に取り入れられて、魔軍を破摧する法(のり)の王である仏を象徴して仏・菩薩の荘厳具としたもの。龍や宝珠を上端につけて竿につるし、堂内の柱にかける。法幢。
施無畏 仏・菩薩が衆生の恐れの心を取り去って救うこと。なお、観世音菩薩の異称でもある。
[解説]
金剛幢地蔵は、修羅道において衆生を救済する地蔵。修羅道は阿修羅が住み、猜疑(さいぎ)、嫉妬(しっと)、執着心によって醜い争いを続ける人間の姿を揶揄しているとされる。執着は煩悩より起こり、煩悩の最たるもの。これを無くさないと悟りは開けないが、これは容易なことではない。煩悩を捨て無くすために修行せよなどといっても、仏道に発心しない凡夫には通じない。導きが必要であり、そのための地蔵尊。
[千手観音の持物]12
楊枝手
楊枝(ようじ)は歯木ともいい、口腔内の衛生に用いる物。道元も事細かに楊枝の使いかたと功徳を述べています。ちなみに、老舗の「日本橋さるや」の黒文字という楊枝は今なお手作り。三百年の歴史を誇っています。普通の爪楊枝の生産は楠公御膝元の河内長野が国内産の殆どを。楊枝を持つ部分の二つの溝は、先端寄りの方を折り、これをテーブル上に置いて、残った溝に楊枝の先端部分を置いて箸置きのように使うとされています。しかし、これは俗説であり、特許も取得されているという話もあるものの、確認されていないようです。
[雑記]
お坊さんや僧籍のある学者による仏教の解説動画は増える一方で、この佛像圖彙の紹介を始めてから夜に気ままに視聴するのが日課となっています(法話ではない)。ブッダについて、般若心経についてといった基本的なことから、仏事、法要のこと、葬式や戒名のことから、各宗派の違いや特徴といったことまでざっくばらんに説明されるので、いろいろ参考になります。
ただ、やはり宗教というのは微妙な点があるのだと思い知らされることもあります。それは、解説されるお坊さんによる他宗についてのお話。もちろん、決して他宗を批判するということはなく、真言宗のお坊さんが日蓮宗との違いを話されたり、またその逆だったりというように作法や仕来りなどの違いを説明する程度なのですが、それでもこの手の話をすると、たちまち批判のコメントが複数寄せられ、中には炎上することも。例えば、真言宗のお坊さんが日蓮宗についてちょっとでも好意的と受け取れる説明をしただけでも「許せない」という批判が来るといった具合。古川柳に「宗論はどちら負けても釈迦の恥」という有名な句があり、もともとこれは法華と浄土の対立をそしったものだそうですが、お坊さん同士でも、また信者同士でも、自分のほうが正しいと思い込んでしまうと、相手のことを受け入れられなくなる。仏教とはブッダの教えであり、元をたどればすべてブッダに行き着く。各宗派には宗祖がおり、宗祖のほうを崇める所もあるようですが、宗祖、高祖といわれる人たちもすべてブッダの教えをよしとして信仰し、布教したのだから、現在の各宗派の違いを説明したぐらいでムキになることもまた、悪しき執着の一つではないかと愚考する次第です。私らのような完全な素人は、「浄土宗の阿弥陀様は坐像で、真宗のは立像。後者は、天上世界から阿弥陀様が降りて来られたお姿である」ということさえ知らず、説明されればそれだけでも興味関心が涌くものです。仏心とは、こういったことからも発(お)こるものではないでしょうか。
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