佛像圖彙129
【129】灑水観音(しゃすいかんのん)
[通釈]
灑水観音
若爲大水(にゃくいだいすい)
[注]
灑水 洒水とも。香水(こうずい。お香をいれて清められた水)を散杖といわれる棒で撒き散らし清めること。水を入れた「灑水器」を左手に持ち、散杖を右手に持ち三度水を散らすという。但しこれは浄土宗での作法で、真言・天台等では相違あるか。
若爲大水 普門品の本文「若爲大水所漂 稱其名即得淺處」(にゃくいだいすしょひょう しょうごみょうごうそくとくせんじょ)に基づく。
[解説]
灑水観音は、昔、毘舎離の町において大悪病が流行したとき、長者は如来の教えに従って観音を請い、楊枝と浄水を献じた。すると観音は衆生を哀れみ、三宝と観音の名を称えることを教え、さらに神呪を説き、これを受持する者は病気を免れることを示した。災いを祓って浄化する観音。
[千手観音の持物]10
宝弓手
官吏栄達を願う者のための宝弓。これなどは現世利益そのものですが、本来は悟りに向ってまっしぐらに進むさまを表わしたものということです。仏教は元来、死後に備えてのものといった性格のものですが、生者が現在の不安や苦しみから直ちに解放されたい、幸せになりたいという願いが日本では鎌倉時代に急速に起こるようになった。武家が政権を掌握し、殺伐とした空気が世の中を支配。朝廷があり幕府があるものの、庶民のための行政をするでもなく、事実上の無政府状態。兵乱、災害、飢饉、疫病など、さまざまな苦しみが人々を襲う中、旧来の仏教では来世こと、成道のことばかりで、難しいことが理解できない庶民にとっては頼りにならない。そこで、法を分かりやすく説き、現世利益を説く高僧たちが現れた。いわゆる鎌倉新仏教の勃興です。長いお経を唱えるのと同じ功徳があるとして、題目や念仏をひたすら唱えることが推奨された。危険や苦しみが襲うと、その場で「なんまんだぶ」などと唱える。こういった習慣はそれまではなかったことです。逆に、感謝する時などにも唱えますが。このように、今、そしてこれからの近い未来に利益を得たいという願いに基づいたのがこの説明文です。そのように解釈する宗派もあるということでしょう。
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