佛像圖彙108
【108】水月観音(すいげつかんおん)
[通釈]
水月観音
辟支仏身(びゃくしぶっしん)
[注]
辟支仏身 縁覚(えんがく)のこと。修行者の性質や修行の階位を示す仏教用語で、性質としては仏の教えによらずに独力で十二因縁を悟り、それを他人に説かない聖者(無師独悟)を指す。階位としては菩薩の下、声聞とされる。縁覚は寂静な孤独を好むために、説法教化をしないとされる。辟支仏や鉢剌医迦仏陀と音写し、師なくしてひとりで悟るので独覚(どっかく)ともいう。辟支仏の起源はよくわかっていないが、仏教外部から取り込まれたものとの説がある。
[解説]
水月観音は、官位・財宝や旅行中の安穏を得たいと祈願すれば、霊験があるとされる。その形像は一定しないが、水辺の岩上に座し、手に楊柳(ようりゅう)と瓶を持ち、水面の月を眺めている姿が多い。
白衣観音と水月観音は画技をよくする禅僧によって水墨画として鎌倉・室町時代に多数描かれた。これらは礼拝の対象となる本尊画とみなされるより筆者の精神の表出であるとみられる。
この絵は「辟支仏身」の注ともどもいささか難解で、冢堀庵氏は「此處では水に映る月を見て悟りに至ったと云う心か」とする。この絵に添えるなら、むしろ邪念のない、落ち着いた静かな心境
意味する「明鏡止水」のほうが相応しく、また分かりやすいと思うが、そこが素人の浅ましさなのだろう。
[雑記]
「水月」を派閥の名称にした与党の集まりがあります。先日行われた総裁選で当初、代表が名乗りを上げたものの既定の推薦人の数が見込めないことなどから、考え方の近い別の派閥に協力するということがありました。この派閥は思うように参加者が増えず、むしろ代表の思惑とは異なる動きをする所属議員がいるなど結束の点も覚束ない。
私の勝手な思いを述べさせていただくと、澄んだ水面に映る月は美しいものの、ちょっとしたそよ風にさえ水面が揺れて月の形が崩れてしまうほど、頼りなくはかない。政治家の集まりとしての名称はいかがなものかと、結成してこの派閥名が発表された時点でそう感じたことでした。また、水月観音由来とすれば「孤独」の意味であるから、尚更よくない。考案した人の存念は分かりませんが、縁起かつぎの気持ちが見て取れるだけに、単に辞書を引くといったことではなく、詳しい人に当たってみるほうがよいように感じます。
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