佛像圖彙93
【93】聖観世音(しょうかんぜおん)
[通釈]
聖観音 梵字はサ
左手に未敷(みふ)蓮華を持つ。(これは)一切衆生の(持っている)妙法蓮華をこれから開かせようとなさる形である。
右手は大悲施無畏の印。
また大悲観世音ともいう。
[注]
未敷蓮華 蓮は、朝開花して午後閉じる、これを毎日繰り返し4日目頃に散る。開花したのち、昼前後には閉じて蕾の状態に戻ろうとするが、閉じきれない花びらが2~3枚開いたままになり、この状態を未敷という。蓮は印度ではとてもおめでたい花として大切にされる。
[解説]
聖観音。正観音とも。正しくは聖観世音菩薩または聖観自在菩薩。単に観音といえばこの菩薩をさす。日本での造像中最も多いと推定される。本来の姿の観音のことで、変化(へんげ)の観音と区別して聖の字を冠する。大慈悲を円満な相に表し、宝冠中に無量寿仏を有し、蓮華(れんげ)を持つ姿などに表す。阿彌陀如来の脇侍としても知られる。
真言は「オン アロリキャ ソワカ」
縁日は毎月18日で、7月10日は四万六千日と言われる。
画像は木造聖観音坐像(福岡・観世音寺)
[雑記]
先日紹介した某ご住持によるリモート参拝・法要についてのアンケートの続報。結果は「不要」つまり認められない、が44%でダントツの多さでした。なぜそうなのか、各人の思いや意見までは示されないのでこれ以上のことはわかりませんが、やはり「お寺は古くて歴史を感じるのがいい」という人が多いのでしょう。奈良・平安の昔は寺院は時代の先端を行き、政治の一翼をも担ったことからすれば、現代においても文明の利器を活用し、それが布教や理解を深められるのであれば大いに活用しても不思議ではない。空海など、喜んでリモートを使い、中国や国内の僧や知識人とやりとりしたり、一般の人に向けてもいろいろ発信したと思いますが、現代は古くからある仏像一つとってもすっかり古色を帯び、古いからこそ良いのだということもまた信仰の一つの要素になっているとなれば、リモートを使える人でも寺社が活用するのは否定するというねじれた意識になってしまうのも無理ないのかもしれません。
ただ、古くて変わらないものに安心するという気持ちもわかる。昔からそこに観音さまがいて、今も変わらずじっと見守ってくださっているというのは心が落ち着くものです。
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