佛像圖彙76
【76】金剛蔵菩薩(こんごうぞうぼさつ)
[通釈]
金剛蔵菩薩
梵語では伐羅闍(ハツラシャ)。漢語で金剛と訳す。金剛とは堅固で、さらに鋭利な意味である。この菩薩の智慧もまた金剛と同じである。よって、煩悩外魔も冒し動かす事が出来ないのは堅固だからで、よく諸障を破り人の疑惑の念を破るのは鋭利だからである。無尽の功徳を具えることから蔵という。
[注]
外魔 げま. 仏道修行者を悩ませたるために外部からくる悪魔。四魔中の天魔のこと。四魔とは魔が仏に似せて説いた経と律、及びその経・律を奉ずる人をいう。通常は五陰魔(五薀魔)・死魔・煩悩魔・天魔を指して四魔という。
[解説]
金剛蔵菩薩は堅固で絶対壊れることのない智慧を持ち、無尽の功徳を与える菩薩。持ち物は琴。なお、尊名が紛らわしいが、金剛蔵王菩薩(胎蔵界曼荼羅の虚空蔵(こくうぞう)院中の一菩薩=既出)とは別だが、同体とする向きもある。同じような尊名が複数あるので、実像で確かめたほうがよいが、素人にはどの仏も見分けがつかない。本書もそんな一般向けの参考書的な性格もあり、有難い図解である。
[雑記]
秘仏について。普段は厨子などの中に納めたまま扉を閉ざしたままの仏像を秘仏といい、これは日本固有のものということです。1年の決まった日に開帳するものもあれば、数年、数十年に一度というもの、さらには永久に開帳しないものまで。
当然、これについては疑問や批判もあり、仏さまが人の姿として現れたのは、人に親しみと安心感を持たせるために似せたのだから、見てもらうことを意識されている。それをわざわざ隠してしまうのは仏さまの意に背くのではないかといったこと。
やむなく秘仏とするケースもある。学術的、美術的に貴重で、しかも塑像のようなものはすぐ劣化するため、一定条件のもと保存する必要がある、といったもの。
また、宗教上の理由の一つとして、歓喜天(聖天。十一面観世音菩薩を本地とする寺院も)のように扱いがとても難しく、威力も凄まじいためにあえて出さないようにしているものも。
以上のようなものは理由が明確であり、納得できますが、多くの秘仏はとにかく秘仏だからご開帳の日以外は見せない、お前立ちがあるからそれを拝むようにと言われてしまう。ところが、そのお前立ちもまた秘仏という所があるそうで、こうなると秘仏をイメージすることさえできず、頼りない感じがします。
多くの秘仏はご開帳の時に撮影された画像によって知ることが出来、寺院によってはそれを親切に厨子の近くに掲げている所もありますが、写真が発明、普及し出した幕末以降、一度も撮らないでいた秘仏の中には、高野山金剛峯寺金堂の本尊であった阿閦(あしゅく)如来像(薬師如来と同体ともいう)が1926年に堂とともに焼失し、厳重な秘仏で写真撮影もされていなかったため、その像容は永遠に謎となってしまった、といった例があります。浅草寺聖観音像、善光寺(長野)本尊阿弥陀三尊立像、園城寺(滋賀)本尊弥勒菩薩像、東大寺二月堂本尊十一面観音像は絶対秘仏で撮影禁止(写真すら存在せず)もしもの場合、高野山の阿閦如来の二の舞にならないか、懸念されるところです。
●秘仏の公開時期パターン
毎年春・秋などの一定の時期に比較的長く開扉されるもの(例:法隆寺の救世観音像、浄瑠璃寺の吉祥天像など)
毎月1回決まった日に開扉されるもの(例:観音の縁日である毎月18日に開扉される、大阪・葛井寺の千手観音像など)
1年のうち、1日ないし数日しか開扉されないもの(例:毎年12月16日のみ開扉される、東大寺法華堂の執金剛神像など)
数年ないし数十年に一度しか開扉されないもの(例:33年に一度の開扉とされている京都・清水寺本尊千手観音像など)観音像に「33年に一度」の開扉とされるものが多いのは、観音は33の姿に変身して衆生を救うと経典に説かれていることによる。
原則非公開で、開扉時期を特に定めていないもの(例:東寺御影堂の不動明王像など)
絶対の秘仏で、写真も公開されていないもの(例:東大寺二月堂本尊十一面観音像など)
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