佛像圖彙54
【54】金剛法(こんごうほう)
[通釈]
西方四尊 金剛法(菩薩) 梵字はキリク
一切の如来、智慧門、金剛法等の一切の諸仏に帰依し奉る。
出生義にいう「一切の如来、自在無染の智について金剛法を生じたまう」と。
[注]
無染 観自在菩薩の真言「おん あろりきゃ そわか」(Om aalolik svaahaa)の「あろりきゃ」は「無染無着」で、泥の中より美しい蓮の花が咲くように世の中の人々の心を清浄にするという意味という。「自在無染の智」は観自在菩薩の智慧を指すと思われる。
[解説]
清浄金剛菩薩とも。右手に蓮華を持ち、左手は施無畏印(せむいいん)を結ぶ。聖観音と同じとも。金剛界四方のうち西法、無量寿如来に属す。
※ この訳注を機に、いろいろな仏書や解説書にあたる日々ですが、専門用語が多く、一切経といわれるように仏教の経典の数はすべてを読むと一生かかっても終わらないほどで、更に時代や宗派によっても意味や解釈が違うため、ちょっと深入りしようとすると、たちまち深山幽谷に迷う状態です。そのため、意味はごく表面的なものにとどめ、現段階で私がまだ理解していないことについては触れないようにしています。
※ 本書は江戸時代に成ったものですが、江戸時代は戸籍事務などを寺院が担当するようにさせたことから、すべての国民はいずれかの寺院を旦那寺とし、そこに檀家として所属したことで、仏事は身近なものというより、生活に大きく関わるものとなりました。しかし、一神教の世界とは違い、草木や厠(かわや)にまで神仏が宿るという多神教の世界のこと、狂信的になる人というのはよほどの人で、多くは信仰しながら自分をしっかり持つといった、極めて健全な生き方をしました。ご出家の方々には失礼ですが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「生臭坊主」「坊主頭」などといった酷い言葉も一神教の世界ではあり得ないことで、それだけ出家と在家の関係が気楽で親しみあるものだったからこそ、時にはこういう憎まれ口をたたくこともあったわけです。この通釈が終わったあと、当時の一般人の神仏に対する気持ちがよくわかるものをいくつか紹介することにしています。
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