佛像圖彙35

【35】仏眼仏母(ぶつげんぶつも)

[通釈]

仏眼仏母 梵字はシリ―

『菩提心義』に云う「毘盧遮那と義決した。五(不)翻中にあって。また仏母と名付けられた。故に般若仏母はまた毘盧遮那の異名である事を知る事が出来る」と。


[注]

『菩提心義』は書名。唐の法藏の述。一巻。正式には『華厳発菩提心章』といい、また『華厳三昧章』とも呼ばれる。華厳における発菩提心の相状・行相を述べたもの。発心、簡教、顕過、表徳の四門からなる。菩提心について『起信論』の三心(直心・深心・大悲心)それぞれを10項目に開示して説く。法然は『選択集』一二で各宗の菩提心が不同のものであると述べる際に華厳宗の例として『遊心安楽道』と共に本書を挙げている。

五翻 正しくは五不翻。仏典をサンスクリット語から漢訳する際に、次のような五種類にあてはまるときは翻訳をせず、原語のまま使うという三蔵法師が提唱した考え方。具体的には

1 インドにあっても中国にはない物の名前。例えばお不動さまの火炎に出てくる迦楼羅(カルラ)という鳥の名前。

2 たくさんの意味を含んでいて一言では訳しにくいもの。例えば陀羅尼。

その3 意味を解釈するより、原語の音感を保つ方が、神秘的な効果も加わり適切と思われる場合。例えば慈救呪のような文章。

その4 いつからとなく使われていた音写で、すでに一般化していたもの。例えば般若心経に出てくる阿耨多羅三藐三菩提など。

その5 翻訳すると真意が失われる恐れの有るのも。例えば仏陀という言葉。

般若心経の最後の「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)も訳文にはせず、意味は知らなくとも唱えることに意味があるとされる。では、プロである僧侶は意味を理解されているかというと、これがまた人により解釈が様々で、通釈されたものを見ても一つとして同じものがない。般若心経は最高の真理(般若[はんにゃ])から見るとすべてのものは実体がない(空[くう])だという教えを説いたものであるとともに、悟りを得るための道筋を示したもので、この真言はいよいよ悟りを得るその喜びを表したものとされ、「さあ、いよいよ彼岸だ、彼岸だ、彼岸に着いた、なんとすばらしいことか」といった感動、喜びの声とする。「彼岸」は「智慧」とするものなどもある。しかし、「羯諦羯諦……」自体が漢語に置き換えたものであるため、この時点で本来の意味は喪失し、理解することは難しいという見方もある。


[解説]

仏眼仏母 (仏眼尊) は一切の諸仏を生み出す慈母とされ,また世の中の真相を見通す如来の眼力を象徴化した尊像で,胎蔵界曼荼羅の遍知院に配される。

単独の画像としては鎌倉時代初期の明恵念持の高山寺本 (国宝=下の画像) があり,白蓮華上に定印を結んで坐し,白い肉身に白衣を着けた清楚な姿に表わされる。

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