仏像圖彙4
【4】正覚釈迦(しょうがくのしゃか)
[訳]
釈迦が正覚に至ったのは華厳経では三七日。阿含経では十二年。方等般若経では三十年。法華経では八年。涅槃経では一日一夜との諸説が有る。
碧巌録に云う。釈迦は老子ともなった。世に住む事四十九年三百六十会。頓教・権実を説いた。是を一代時教という。
[註]
悟りを開く過程が経典に依ってまちまち。金剛坐に座ったのは二十一日で二十二日目に説法を始めたので華厳の説を取りたい。
釈迦・弥陀(みだ)・薬師の区別は基本的には印相で。
碧巌録(へきがんろく)は禅の語録。釈迦が老子に成ったと謂うのは佛家の言い出した妄説。道家では逆に老子が釈迦に成ったと謂う。共に取るに足らず。釈迦と老子がほぼ同じ時代故の妄説。此れを巧に取り入れたのが諸星大二郎氏の孔子暗黒伝。
頓教(とんきょう)とは直ぐに佛の道を理解できる様に説く事。
権実とは仮の教えと真の教え。先ず仮の教えで下地を作り真の教えに至らしむ。
一代時教とは釈迦一代の教えの事。
[解説]
これは釈迦が正覚、つまり一切の真相を知る無上の知恵、仏教における最高の悟りを開いたお姿。「出山の釈迦」の時と完全にお顔つきが変わっている。
正覚に至った日数としていろいろな経典の説を挙げている。
『華厳経』(けごんぎょう)、正式名称『大方広仏華厳経』は、大乗仏教仏典の1つ。 経名は「大方広仏の、華で飾られた教え」の意。「大方広仏」(時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏)という存在について説いた仏典る。 元来は『雑華経』(様々な華で飾られた・荘厳された教え)とも呼ばれていた。
『阿含経』(あごんぎょう)は、最も古い仏教経典集で、初期仏教の姿を色濃く反映したものとされる。阿含とは、サンスクリット・パーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味。
『方等般若経』(ほうどうはんにゃきょう。方等経)は、大乗仏教の経典を総称していう語。方等経の中でも、特に優れた経典を「大方等」や「大方広」と呼んで区別する。『華厳経』の正式名称である『大方広仏華厳経』などはその一例。
『法華経』(ほけきょう)は、大乗仏教の代表的な経典。正式には妙法蓮華経という。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想が説かれている。聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来した。
『涅槃経』(ねはんぎょう。大般涅槃経)は,釈尊の入滅されるその日の最後の説法を通して,仏教の根本思想を伝える経典である. クシナーラーの沙羅双樹の中で釈尊が,「仏の永遠性」「一切衆生悉有仏性」などの真理を語る. 仏は永遠であり,全ての人間には,仏のさとりを得られる「仏性」が備わっていることが明らかにされる. 日本仏教に大きな影響を与えた。
世界の聖人たちはいずれも自身では書物を著わさず、弟子たちがそれぞれに師の言行を記した。また、師が教えを説く時、その弟子の理解度に合わせた説明をするため、同じ教えでも表現や例えに違いがある。直接教えを受けた弟子たちは、当然ながら自分が直接師から教わったことを正しいものとする。直接薫陶を受けた弟子たちの世代が絶えると、孫弟子、更にはその教えを信奉する人たちが師の教えをまとめた書物を神聖なものとするようになるが、この段階で複数の経典が存在し、それぞれの経典を崇めたり、註釈を加えることで、ますます師についての説が増えることになる。釈迦が悟りを開いた現実は一つだが、経典によってさまざまな説がある。ここに挙げられたものだけでも、一日一夜説から三十年説まで。久遠な大宇宙からみれば、一夜も三十年も違いなど無いが、釈迦の限られた人生からすれば大変な違いである。しかし、どれほどの時間を要したかよりも、正覚を得たことが大切なので、諸説ありということで鷹揚に構えればよい。字句に囚われすぎると危険な原理主義となる。
老子は、中国春秋時代における哲学者。諸子百家の道家は彼の思想を基礎とするもので、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。実在したかどうかは判然とせず、さまざまな伝承を生み、ついには道教の祖として崇められるまでになった。日本仏教は道教の影響も受けているとされる。
隋代の『大般涅槃経』写本(西漢南越王博物館蔵)
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