仏像圖彙3
【3】出山釈迦(しゅつさんのしゃか)
[訳]
梵字は釋迦の種子(しゅじと訓ず)ばく。梵字一字で仏さまのお姿を示す。
シッタ太子は十九歳二月八日王宮を御出でになり、檀特山(だんとくせん。山はせんと訓ず)においでになり苦行なさる事十二年を経て、三十歳の時マガダ国のブッタガヤのウジュラアサーナ(金剛宝坐)の上にて(時に周の昭王三十三年)戊寅十二月八日、明星の輝く朝悟りを開き成道(じょうどう)された。
[註]
檀特山。山号にする寺も結構有ります。兵庫と香川には実際の山も。
苦行の末村娘スジャーターより乳粥の供養に預かり体力を復活。此れに因んでめいらくのコーヒーに入れるミルクの商標が。
金剛宝坐は前島信次先生の岩波新書「玄奘三藏」に詳しい記述が有ります。
十二月八日は成道会(じょうどうえ)として仏徒の三大祝日。中国では乳粥にて体力を回復し悟りに至ったとの事にて八種類の穀物果物をあしらった「臘八粥」を食する風習も有り。
[解説]
釈迦は五人の沙門(のちの五比丘)を同行させ、6年の間に様々な苦行を行った。断食修行でわずかな水と豆類などで何日も過ごした。この苦行は心身を極度に消耗するのみであり、身体は骨と皮のみとなり、やせ細った肉体となっていた。絵はその苦行を終えて山から下りてきた時の姿。体は痩せこけ、髪も髭も伸びている。しかし、その表情は何の迷いもなく、大いに悟ったと晴れやかなお顔である。
苦行については、いたずらに体を痛めつけてもそれが直ちに効果があるものではなく、「苦行は無意味であることを悟った」とする説もある。釈迦はそのような発言はしておられないようだが、「悟」という字はりっしんべんに吾、つまり自分の心に向き合うことであり、自分に向き合うのはいつでも可能であり、そのような心持ちにならなければ、苦行は逆に迷いを生じさせることにもなる。現在、多くの宗派では修行僧の段階からさまざまな修行をし、中には一年で最も寒い季節に3時間毎に水をかぶる修行をするものもある。こういったのも、釈迦の苦行否定に反するのではないかと疑問を呈する向きもあるが、宗教的にはそれを「苦」とはとらえず、自己省察の一つの形としているようである。宗教は心であるが、心を知り、心に向き合うには形から入らなければならない。これは儒教の祖と崇められている孔子も同様の見解であり、「礼」をとても重視している。
ちなみに、『論語』開巻第一の有名な冒頭の言葉、「学んで時にこれを習う、また説(よろこば)しからずや」(教わっては折に触れて復習することは、なんと楽しいことではないか。To learn and to review those you learned are pleasure)の学ぶとは、礼を学ぶことだという説がある。そのように捉えると、実によく孔子の言いたいことがわかってくる。
金剛宝坐(右手前は菩提樹)
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