1709年5月2日
宝永6年5月2日[貞享暦] 1709年6月9日 壬申 日曜日 清・康煕48年
内藤能登守義孝、将軍宣下の慶事により日光山霊廟代参の暇を下される。
三家をはじめ万石以上の大名より端午を賀して時服を献上。日光准后よりも二種一荷を献上。伊逹遠江守宗贇、御継統を賀して来国俊の太刀を献上。喪に服していたため今日に及んだ。
端午の賀として、御台所に金3枚・干鯛、竹姫に金20両・一種、瑞春院・八重姫・松姫に銀20枚・二種一荷ずつ、御部屋の方・すめの局に10枚・干鯛、寿光院に5枚・一種、三家ならびに松平加賀守綱紀父子に各時服・肴、護持院快意・護国寺尊祐・根生院頼雅に銀ならびに粽を給う。方々よりも品物を献上。
松平美濃守吉保の母八十の賀宴挙行により、綿200把・檜重三種二荷、吉保に三種二荷を下賜。
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