1709年4月21日

宝永6年4月21日[貞享暦]1709年5月30日  壬戌  木曜日 清・康煕48年

奏者番安藤長門守信友、乱箱請取の役を命ぜられる。

処分:表右筆組頭飯高七左衛門勝成・大橋左兵衛重豊、解職の上小普請入り。両城の右筆とともに職務を果たし、日記も記すように命ぜられたところ、本城の輩は怠慢して西城の輩にさせ、病欠の者が多い際にも互いに助け合うことを怠ったため。

奧にて猿楽。家宣自ら忠度・桜川を舞う。中条丹波守直景は関寺小町・天皷・正尊、曲淵下野守景衡は殺生石、松平大蔵少輔は海士、阿部主殿正興は和布刈、植木友之丞某は車僧、村上市正正直は放下僧、牧野兵庫忠列は舎利。御部屋の方に縁あるを以て寄合太田内記政資拝覧を許され、茶宇縞5反を給う。

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