1948年1月28日

1948年1月28日 昭和23年

【内 閣】

片山哲内閣

総理 片山哲/外務兼副総理 芦田均/内務 木村小左衛門/大蔵 矢野庄太郎/司法 鈴木義男/文部 森戸辰男/厚生 一松定吉/農林 平野力三/商工 水谷長三郎/運輸 苫米地義三/逓信 三木武夫/行政調査部総裁 斉藤隆夫/経済安定本部長官 和田博雄/復員庁総裁 笹森順造/官房長官 西尾末廣(兼任)/無任所 林平馬、米窪満亮/内閣法制局長官 佐藤達夫/内閣官房次長 瀧川亜末一、曾禰益

【首 長】

東京都知事 安井誠一郎/大阪府知事 赤間文三/大阪市長 近藤博夫/京都府知事 木村惇/京都市長 神戸正雄/北海道庁長官 田中敏文/青森県知事 津島文治/岩手県知事 国分謙吉/秋田県知事 蓮池公咲/宮城県知事 千葉三郎/山形県知事 村山道雄/福島県知事 村山道雄/茨城県知事 友末洋治/栃木県知事 小平重吉/群馬県知事 北野重雄/千葉県知事 川口為之助/埼玉県知事 西村實造/神奈川県知事 内山岩太郎/山梨県知事 吉江勝保/新潟県知事 岡田正平/富山県知事 館哲二/石川県知事 郡祐一/福井県知事 小幡治和/長野県知事 林虎雄/静岡県知事 小林武治/愛知県知事 青柳秀夫/岐阜県知事 武藤嘉門/滋賀県知事 服部岩吉/奈良県知事 野村万作/三重県知事 青木理/和歌山県知事 小野真次/兵庫県知事 岸田幸雄/岡山県知事 西岡広吉/広島県知事 楠瀬常猪/山口県知事 田中龍夫/鳥取県知事 西尾愛治/島根県知事 原夫次郎/香川県知事 増原恵吉/徳島県知事 阿部五郎/愛媛県知事 青木重臣/高知県知事 桃井直美/福岡県知事 杉本勝次/佐賀県知事 沖森源一/長崎県知事 杉山宗次郎/大分県知事 細田徳寿/宮崎県知事 安中忠雄/熊本県知事 桜井三郎/鹿児島県知事 重成格/沖縄県知事 志喜屋孝信

【国際連合】

事務総長 トリグブ・リー(初代)

関西汽船・女王丸が瀬戸内海で機雷に触れ沈没。死者行方不明183人

1948(昭和23)年1月28日、 阪神~多度津(香川県)間を航行する関西汽船の女王丸(401トン、長さ48.9メートル乗客定員306人)が瀬戸内海牛窓沖で機雷に触れ沈没。死者・行方不明188人を出した。瀬戸内海は、本州、四国、九州に挟まれた内海で、沿岸地域を含めて瀬戸内(せとうち)とも呼ばれているが、古来から、畿内と九州を結ぶ航路として栄えたところである。東西に450km、南北に15 - 55km、平均水深:37.3m、最大水深:105mの内海は複数の島嶼(とうしょ。〔「嶼」は小さい島の意〕)群で構成され、医師であり博物学者であったシーボルトを初めとして数多くの欧米人から高く評価された景勝地であり、19世紀後半の1860(安政6)年、日本では明治維新直後に瀬戸内海を訪れたシルクロードの命名者でもあるドイツ人の地理学者フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェン(Ferdinand Freiherr von Richthofen,1833年 - 1905年)の旅行記により「広い区域に亙る優美な景色で、これ以上のものは世界の何処にもないであらう。将来この地方は、世界で最も魅力のある場所のひとつとして高い評価をかち得、沢山の人を引き寄せるであらう。」と世界中に紹介されているといい、当時よりは、環境も変化しているが、今もなお風光明媚な風景として絶賛される地域である。特に牛窓は「日本のエーゲ海」と称される多島美の景観地である。1934(昭和 9)年3月16日、日本初の国立公園として瀬戸内海国立公園が指定されている。関西汽船株式会社は、大阪市港区弁天6丁目に本社を置商船三井(住友系の旧・大阪商船)系列会社の海運会社で、瀬戸内海においてフェリー航路の運航を行なっている。1942(昭和17)年に、大阪商船(後に三井船舶と合併し大阪商船三井船舶→現・商船三井)内航部を分離独立し設立された。1945(昭和20)年8月15日に ポツダム宣言を受諾し終戦を迎えた。第二次世界大戦の敗戦からすでに2年5 ヵ月以上が経過して占領下で少しずつ戦後復興の歩みを始めた1948(昭和23)年の今日・2月28日に、関西汽船、阪神-多度津航路女王丸が大阪、神戸から岡山、小豆島、四国方面への乗客を乗せて渡航中に岡山県牛窓沖合で機雷に触れ沈没するという海難事故(女王丸事件)が発生した。機雷とは機械水雷の略で、水中に敷設され、艦船が接近又は接触したとき、自動または遠隔操作により作動する水中兵器をいう。第一次世界大戦・第二次世界大戦でも機雷は大量に使用された。第二次世界大戦末期、米軍は、対日戦において機雷を戦略目的に使用(飢餓作戦・1945年3月27日~8月14日、延1,200機のB29が作戦)し、日本近海の海上交通遮断をめざして航空機(B29)等から大量の機雷を投下した。米軍の狙いどおり、港湾や海峡で船舶の被害が増大し日本の物流は麻痺状態となった。日本軍は機雷作戦による積極的戦果を求めず、港湾防御以外に敷設した例はそれほど多くない。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。