和俗童子訓46
貝原益軒著『和俗童子訓』46
小児は十歳より内にて、はやくおしえ戒むべし。性悪くとも、能おしえ習はさば、必よくなるべし。いかに美質の人なりとも、悪くもてなさば、必悪しきにうつるべし。年少の人の悪くなるは、教の道なきがゆへなり。習をあしくするは、たとへば、馬にくせを乗付るがごとし。いかに曲馬にても、能き乗手ののれば、よくなるもの也。又うぐひすのひなをかふに、はじめてなく時より、別によくさゑづるうぐひすを、其かたはらにをきて、其音をききならはしむれば、必よくさえづりて、後までかはらず。是はじめより、よき音をききてならへばなり。禽獣といへど、はやくおしえぬれば、善にうつりやすき事、かくの如し。況んや人は万物の霊にて、本性は善なれば、いとけなき時より、よく教訓したらんに、すぐれたる悪性の人ならずば、などかあしくたらん。人を教訓せずしてあしくなり、其性を損ずるは、おしむべき事ならずや。
【通釈】
小児は十歳になる前に、早いうちに教え戒めるべき。生まれつき性格が悪くとも、よく教え習うようにすれば、必ずよくなるものである。いかに美質の人であっても、悪くもてなせば必ず悪い方に移ってしまう。年少の人が悪くなるのは、教えの道がないためである。
習性が悪くなるのは、たとえば、馬に悪いくせを乗りながらつけてしまうようなもので、いかに曲馬(くせうま)であても、よい乗り手が乗ればよくなるものである。また、うぐいすのヒナを飼うのに、初めて鳴く時より、別によくさえずるうぐいすをその側に置いて、その鳴き声を聞かせ習わせると、必ずよくさえずるようになり、後まで変わることがない。これは、初めよりよい鳴き声を聞かせ習わせるからである。
禽獣でも早く教えれば善に移り易いことはこのようである。ましてや人は万物の霊長で本性は善であるから、幼い時よりよく教訓したならば、極めて悪性の人でなもなければ、どうして悪くなることがあろうか。人を教訓せずに悪くさせ、その本性を損じてしまうのは、なんと惜しむべきことではないか。
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