1947年9月10日

1947年9月10日 昭和22年

【内 閣】

片山哲内閣

総理 片山哲/外務兼副総理 芦田均/内務 木村小左衛門/大蔵 矢野庄太郎/司法 鈴木義男/文部 森戸辰男/厚生 一松定吉/農林 平野力三/商工 水谷長三郎/運輸 苫米地義三/逓信 三木武夫/行政調査部総裁 斉藤隆夫/経済安定本部長官 和田博雄/復員庁総裁 笹森順造/官房長官 西尾末廣(兼任)/無任所 林平馬、米窪満亮/内閣法制局長官 佐藤達夫/内閣官房次長 瀧川亜末一、曾禰益

【植民地高官】

樺太庁長官 大津敏男

【首 長】

東京都知事 安井誠一郎/大阪府知事 赤間文三/大阪市長 近藤博夫/京都府知事 木村惇/京都市長 神戸正雄/北海道庁長官 田中敏文/青森県知事 津島文治/岩手県知事 国分謙吉/秋田県知事 蓮池公咲/宮城県知事 千葉三郎/山形県知事 村山道雄/福島県知事 村山道雄/茨城県知事 友末洋治/栃木県知事 小平重吉/群馬県知事 北野重雄/千葉県知事 川口為之助/埼玉県知事 西村實造/神奈川県知事 内山岩太郎/山梨県知事 吉江勝保/新潟県知事 岡田正平/富山県知事 館哲二/石川県知事 郡祐一/福井県知事 小幡治和/長野県知事 林虎雄/静岡県知事 小林武治/愛知県知事 青柳秀夫/岐阜県知事 武藤嘉門/滋賀県知事 服部岩吉/奈良県知事 野村万作/三重県知事 青木理/和歌山県知事 小野真次/兵庫県知事 岸田幸雄/岡山県知事 西岡広吉/広島県知事 楠瀬常猪/山口県知事 田中龍夫/鳥取県知事 西尾愛治/島根県知事 原夫次郎/香川県知事 増原恵吉/徳島県知事 阿部五郎/愛媛県知事 青木重臣/高知県知事 川村和嘉治/福岡県知事 杉本勝次/佐賀県知事 沖森源一/長崎県知事 杉山宗次郎/大分県知事 細田徳寿/宮崎県知事 安中忠雄/熊本県知事 桜井三郎/鹿児島県知事 重成格/沖縄県知事 志喜屋孝信

【国際連合】

事務総長 トリグブ・リー(初代)

ドイツの作家集団「47年グループ」が初会合を行う。

主なメンバー

イルゼ・アイヒンガー

インゲボルク・バッハマン

ペーター・ビクセル

ハインリヒ・ベル

パウル・ツェラン

ギュンター・アイヒ

ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー

ギュンター・グラス

ペーター・ハントケ

ヴォルフガング・ヒルデスハイマー

ウーヴェ・ヨーンゾン

エーリッヒ・ケストナー

ジークフリート・レンツ

ハンス・ヴェルナー・リヒター(主宰)

マルティン・ヴァルザー

ペーター・ヴァイス

マルツェル・ライヒ=ラニツキ

津別事件=北海道網走郡津別町で発生した抗争事件

午前11時30分頃、3人の朝鮮人が遊戯場に現れ、金を払わずに遊んだ上に、露店をひっくり返す暴挙を働いた。この場に居合わせた的屋らは3人を袋叩きにした。この3人は直ちに在日本朝鮮人連盟北見支部に連絡を取り、救援を求めた。朝鮮人連盟北見支部では早速約20人の朝鮮人を集め、夕方に出発した。途中の美幌町では竹槍や棍棒などの凶器も積み込み、さらに人を集めて最終的には約50人に膨れ上がった。北海道警察部美幌警察署は両者に分け入って、双方から3人の代表者を出させて交渉させることにした。しかし交渉は進展せず、午後11時になろうとした。そこで警察が再度介入し、解決案として「朝連は狼藉を働いた3人に謝罪と賠償をさせる」「朝連は1時間以内に彼らを引き取る」を提示し、ようやく両者の合意を得た。その頃になると、一般の津別町民約300人も現場に集まり、これまでの朝鮮人の行状を非難した。午後11時20分頃、朝鮮人側から打ち上げ花火のようなものが的屋側に落下した。これをきっかけに両者は激突、町民も的屋側に加勢して投石した。乱闘は約30分間続いた。この衝突で、朝鮮人側に死者2人・重軽傷者19人を出した。的屋側は軽傷者6人であった。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。