南留別志360
荻生徂徠著『南留別志』360
一 「こと」(琴)といふは、「琴の音」(こんのおと)といふ事なり。「かりがね」(雁金)は「雁が音」(かりがね)といふ事なり。久しくしては物名になりたれば、ことのね、雁金の声ともいふなり。冬日之日、夏日之日といへるがごとし。
[解説]琴の「こと」という訓は、「こんのおと」を略したもの、雁金の「かりがね」は「雁が音(ね)」のことで、どちらも年月が経つにつれて物の名になった、ということ。「冬日之日、夏日之日」は『春秋左氏伝』の文公七年に「鄷舒、賈季に問いて曰く、趙衰・趙盾孰(いずれ)か賢なるや、と。対(こた)えて曰く、趙衰は,冬日之日なり。超盾は,夏日之日なり、と。」とあり、杜預(どよ)の注に「冬日は愛すべく、夏日は畏るべきなり。」とある。冬の日だから冬日なのに、更に「之日」を付け加えて「冬の日」という意味に使っている。夏日之日も同じ。あるものの状態、様子を示した言葉が、そのもの自体を表わす言葉となる用例。
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