南留別志355
荻生徂徠著『南留別志』355
一 笙の山口を、「びやうしやう(屏上)」といふ。今の楽家にて、屏調又は評声などかけるは、し(知)らで文字をつけたるなり。凡上といふ事なり。乞の竹と也の竹には山口なし。乞は黄鐘、也は双調なり。此二竹をかねにして、凡上の竹より山口をひらきて、それより段々に外の竹にも、山口をあくるときは、かね違はぬゆゑに、凡上と名づけたるなり。今の笙は形長くなりたるゆゑ、乞の竹にも山口をあけたるなり。乞の竹を長き限とし、也の竹をみじかきかぎりとして、乞のなかばを行の山口とし、乞と行のなかを、凡の山口とす。凡のなかばを上の山口とし、凡と上とのなかばを十の山口とし、也の竹に吹きあはせてみるなり。
[解説]雅楽などで使う管楽器の笙の解説。17本の細い竹管を円形に配置し、竹管に空けられた指穴を押さえ、匏(ほう)の横側に空けられた吹口(徂徠はこれを山口と言っている)より息を吸ったり吐いたりして、17本のうち15本の竹管の下部に付けられた金属製の簧(した:リード)を振動させて音を出す。いくつかの竹管には屏上(びょうじょう)と呼ばれる長方形の穴があり、共鳴管としての管長は全長ではなくこの穴で決まる。そのため見かけの竹管の長さと音程の並びは一致しない。屏上は表の場合と裏の場合があるが、表の場合は装飾が施されている。指穴を押さえていない管で音が出ないのは、共鳴しない位置に指穴が開けられているため。ハーモニカと異なり、吸っても吹いても同じ音が出せるので、他の吹奏楽器のような息継ぎが不要であり、同じ音をずっと鳴らし続けることも出来る。「乞」は和音(合竹という)の一つで、全部で11種類ある。「黄鐘」「双調」はそれぞれ十二律の名称。
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